「勝岡論文」をめぐる論争(資料)

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勝岡寬次論文に関わる
歴史認識問題研究会の「見解」と雑誌『正論』の反論掲載拒否について

令和2年12月10日
新しい歴史教科書をつくる会

●議論の経過
 勝岡寬次氏の「自由社教科書不合格問題と、欠陥箇所の『二重申請』問題」と題する論文が、9月18日に発行された歴史認識問題研究会(以下、「歴認研」)の機関誌『歴史認識問題研究』第7号に掲載された。これに対し、つくる会は10月9日、「文科省の『不正検定』を擁護する勝岡寬次氏の論文について」という見解(『史』令和2年11月号掲載)を公表した。
 すると、掲載誌の発行主体である歴認研は、10月13日、西岡力会長名で「『新しい歴史教科書をつくる会』の本会機関誌掲載論文への反論声明に対する、本会の見解」(以下、「歴認研文書」)を同会のホームページに発表した。
 その後、勝岡氏は雑誌『正論』の令和2年12月号に「文科省は『不正検定』に手を染めたのか」という、歴認研の機関誌と基本的に同趣旨の論文を寄稿した。これには、つくる会見解への内容的な反論も含んでいる。つくる会側関係者は当然反論の掲載を求めたが、『正論』の田北真樹子編集長はこれを拒否した。
 この二つの出来事は、どちらも勝岡論文に関係しており、かつ、言論の自由に関わる重要な問題を含んでいることから、ここでまとめてつくる会の見解を述べることとした。
●歴認研文書の問題点
 歴認研文書は、第一に、つくる会が「一方的に勝岡論文を『破綻している』と誹謗し」た、と書いている。だが、当会はつくる会を批判した勝岡論文に冷静に反論し、勝岡論文が「破綻している」ことを、事実をもとに正確に論証しており、誹謗などしていない。もし、つくる会の反論
に異を唱えるのであれば、その論証のどこが間違っているのかを、事実と論理によって明示すべきである。
 ところが、歴認研文書は、当会の「見解」の内容に一切踏み込むことなく、単に「誹謗」だと論難しているに過ぎない。これでは歴認研は一切の批判を許さない特権的な地位を主張していると疑われても仕方がない。
 第二に、歴認研文書は、「民間の研究者が個人の名前で公表した学術論文に対して、組織として一方的に撤回を求めたことに驚きを禁じ得ない」と述べている。
 右の引用で、「驚きを禁じ得ない」のは何を対象としているのかはっきりしない。そこで、引用に含まれている可能性のある主張のいくつかを取り出して検討したい。
 ①まず大前提として確認しておかなければならないことがある。自由な社会では、個人や組織が、他の個人や組織に対して批判する言論の自由が認められる。しかし、そのことは、当然ながら、批判された側に反論する権利が生じ、関係者はその反論権を保障しなければならない。反論権を保障しない社会はもはや自由な社会ではない。
 ②歴認研文書は、個人の名前で公表した論文に対し組織として反論したことが問題であると考えているようである。しかし、これは全く当たらない。言論の主体としては、個人と組織に本質的な区別はない。勝岡氏がつくる会という組織を批判するのは自由だが、批判されたつくる会には当然ながら反論権が生じるのである。
③歴認研文書は、勝岡論文が学術論文であるから、反論は同じ学術論文の形式ですべきだと考えているようにも取れる。しかし、勝岡論文は紙媒体で配付されているだけでなく、発表後直ちに歴認研のホームページにも掲載され、社会に広く拡散されている。つくる会は文科省の「不正検定」と戦っている最中であり、「不正検定」を否定する勝岡論文の悪影響を無視することはできない。半年後に公刊される『歴史認識問題研究』に反論論文を投稿しても、その時はすでにことは終わっている可能性が大きい。
 学術論文であろうと他のどんな形式であろうと、批判された組織や個人が反論するのは当然の権利である。学術論文であるからそれ以外の形式の反論を許さないと考えているとしたら、学術論文という形式を、相手側に即座に反論させないための手段に使ったのかも知れないという疑いさえ生じさせる。しかも、歴認研文書は、『歴史認識問題研究』への当方の関係者の「反論掲載はお断り」すると書いている。これではますます筋の通らない話となる。
●勝岡氏はなにを語ったのか
 第三に、9月20日、勝岡寬次・髙橋史朗・杉原誠四郎・土屋敬之の四氏が会合したが、その場での勝岡氏の発言の問題である。
 歴認研文書はつくる会見解が勝岡氏の発言としていることは、「勝岡事務局長の記憶並びに当日の会合の備忘録および同席した髙橋史朗本会副会長の記憶とも著しく相違しており、重大な事実誤認である」という。そして、「杉原氏との個人的信頼関係の下で行われた、非公式ゆえに録音もしていなかった会合のやりとりを、当事者である勝岡事務局長に確認することもせず、一方的に記述して事実誤認をした『つくる会』の声明に、本会として強く抗議したい」と書いている。
 この場での勝岡―杉原間の話し合いで勝岡論文に対する杉原氏の批判的コメントがなされた。その内容は、勝岡氏のいう「二重申請」(検定意見がついた記述を次の検定で再度提出すること)は制度的には何ら問題にならないこと、など四点あった。
 実はこの内容をまとめた文章を杉原氏は会合の翌日、藤岡副会長の他、当日出席した他の三氏にも同時にメールで送っており、その中で、「勝岡氏は以上の私の修正、反論にほぼ納得したと言ってくれている」と書いている。勝岡氏はこれに何の異議もとなえていない。あとになって、勝岡氏は前掲『正論』に、「『納得した』などとは筆者は答えていない」と書いているだけである。
 もう一つは、つくる会が主張する「不正検定」事例への勝岡氏の評価である。杉原氏は「飛鳥新社から出した『教科書抹殺』でつくる会が指摘した100箇所の反論についてどう思うかときいたところ、それについては、勝岡氏は『おおむね賛成である』と答えられたと、私は思ったのである」と書いている。 ただ、この件は杉原メールには書かれていないから証拠はない。これについて勝岡氏は『正論』で、「『教科書抹殺』の100件については、『あまり賛成できない』と申し上げたのである」と書いている。まるで真逆だ。勝岡氏は髙橋氏にも確認したというが、つくる会側も土屋氏につくる会見解の文面も読んでもらい、こういうニュアンスであったことを確認しているので、一方的な判断ではない。
 ただ、この点では歴認研文書のいうように、誤解の可能性はあり、杉原氏は本人に確認する必要があったかも知れないと述べている。その点はつくる会側としては率直に認めたい。だからこそ、勝岡氏に100件の全面的な検討を改めて求めたい。
●反論権を認めない全体主義の風潮
 最後に、雑誌『正論』の言論弾圧問題である。『新しい歴史教科書』の前回検定時の代表執筆者・杉原誠四郎顧問と、今次検定時の代表執筆者・藤岡信勝副会長は、連名で『正論』編集部に反論の掲載を申し込んだ。しかし、田北真樹子編集長は、回答を一週間も遷延したあげく、反論の掲載を拒否した。
 これは反論権の圧殺であり、言論の自由を大切にしなければならないはずのオピニオン誌として自殺行為である。厳重に抗議する。なお、『正論』は産経新聞社から発行されているが、産経本紙は教科書問題について公正・公平に扱っていることを明記しておきたい。
 そこで、勝岡論文について雑誌『正論』に投稿するはずであった藤岡副会長と杉原顧問の反論文をつくる会のホームページに掲載する。なお、このうち、藤岡論文は『月刊Hanada』12月号に、同誌のご好意により掲載された。
 『歴史認識問題研究』には貴重な実証的・学術的論文が多数掲載されており、日本の歴史認識問題を研究する上での貴重な財産となっている。今後もその役割に期待するところは大きい。それだけに、教科書改善に取り組んできたつくる会への突然の攻撃は不可解であり、歴認研の今回の対応は極めて残念という他はない。雑誌『正論』についても同じことが言える。 
 いずれにせよ、保守系の言論界の一部に現れた、議論のルールを無視し、一方の反論権を認めない全体主義的風潮は真に憂慮すべきことである。

*『史』令和3年1月号(144号)掲載