東京書籍――家族と国家の解体を狙う
人は、教科書問題というと歴史教科書のことを考える。だが、より日本全体に害毒を流してきたのは公民教科書である。今日の公民教科書は、第一に家族の解体を目指す、第二に国家の解体を目指す、第三に全体主義的な民主主義を目指す、第四に歴史偽造又は歪曲によって日本国民のさまざまな贖罪意識を植え付ける、という4つの否定的特徴を持っている。最大手の東京書籍は、4つの否定的特徴をすべて持っているが、清水書院とともに、特に第一と第二の特徴を最も強く持っている教科書である。つまり、端的に言えば、家族と国家の解体を目指す教科書である。
家族の解体を目指す
今回、東京書籍からは批判の的だった「地球市民」の言葉が消えた。だが、原理的には、個々人と「地球社会」の中間にある家族、地域社会、国家を全て破壊しようという思想は全く変わらない。ちなみに、東京書籍の歴史教科書の結びには「地球市民」という言葉が存在する。
まず、家族からみると、前回、東京書籍は「家族」という言葉が入っている単元を1つも設定しなかった。これには大いに驚かされた。さすがに、今回は副題に「家族」という言葉を入れた単元を1つ設けた。しかし、その単元名は【少子高齢化――変わる人口構成と家族】というもので、主題は少子高齢化にあり、ここでは家族というものがどういうものか、全く説明がない。家族の定義を探すと、別の単元【社会集団の中で生きるわたしたち】の「家族と地域社会」という小見出しの下、「家族は、私たちが最初に出会う最も身近な社会集団です」とあるだけである。ここには「共同体」どころか「社会の基礎集団」という位置付けさえも存在しない。企業やクラブなどの利益社会との区別立てがなく、極めて軽い存在として、家族を捉えていることが知られる。
家族を軽視する東京書籍は、前回と今回、家族に充てた分量を大幅に減らした。その分量は、かつては20頁ほど存在したが、昭和56~58年度版以降じょじょに減少していき、平成18~23年度版では4頁まで減少していた。そして、前回と今回は更に大幅に分量を減らし、1頁未満になってしまったのである。何とも恐ろしい変化である。まるで、家族という存在の破壊を狙っているかのようである。
政治権力の必要性さえも記さない
ここまで第一の特徴を見てきたが、次いで第二の特徴を見ていこう。公民教科書は、大体、文化・社会編、政治編、経済編、国際社会編という順序で構成される。それゆえ、政治編の冒頭に国家論が必要である。だが、東京書籍は、自由社以外の5社と同じく、国家論を記さない。それどころか、政治権力の必要性さえも記さない。必要性を記さないでおいて、【立憲主義と日本国憲法】という単元で、次のように述べている。
「国の政治権力は強大で、国民の自由をしばることができます。そこで、この政治権力から人権を守り、保障していくために、憲法によって政治権力を制限するという考えが生まれました。これを立憲主義といいます」。
この記述は間違いとも言えないが、こういう教育を受ける生徒は、政治権力なんかない方がよい、あってもできるだけ脆弱な方が良いと考えるだろう。このように記すならば、猶更、政治権力の必要性を明記する必要があろう。ところが、40年以上前から、東京書籍は、決して政治権力の必要性を記すことはなかった。東京書籍の政治権力解体・国家解体思想は、筋金入りなのである。
東書の国家解体思想は、普通に使われる国益という言葉も観点もないことに現れている。また、現代日本にとって最重要課題の一つと言える日本人拉致問題について、単元本文1行と1枚の写真とそのキャプションで済ませていることにも現れている。
ただし、改善された点がないわけではない。その最大のものは、領土問題・領土をめぐる問題に関する記述であろう。東京書籍は、2頁以上のスペースを用い、日本の立場から問題について解説している。この点は評価できよう。
平成27年7月29日更新