各社の教科書を読む 公民編5|新しい歴史教科書をつくる会

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自由社VS育鵬社……国家論の構築を放棄した育鵬社




自由社と育鵬社の違いとは何か。それは2点ある。1つは危機感の違いである。育鵬社には日本の国家社会の生き残りに対する危機感がない。

これに対して、自由社には危機感がある。だからこそ、自由社は、家族論や国家論に各2単元、天皇論に1単元と2つの大コラムを当てている。

家族、国家、天皇とは、いずれも戦後教育が意図的に破壊しようとしてきたものであり、その破壊を食い止めるべく、家族や国家、天皇に関するまともな教育を復活しなければ、日本は滅亡するだろうという危機感が、『新しい公民教科書』に表れている。


本質論的に捉える自由社と現象的に捉える育鵬社

2つ目は、物事の捉え方の違いである。育鵬社の捉え方は現象的であり、決してて本質的な捉え方をしようとはしない。例えば、育鵬社は、いろいろな所で、日本文化を紹介し、その良さを伝えようとしてはいる。

だが、決して体系的、本質的な日本文化論を展開しない。育鵬社は、第1章2節「現代社会の文化と私たちの生活」の単元1【文化の意義と影響】で、「日本の文化の特徴」という小見出しの下、わずか8行で次のように述べるだけである。

「日本は自国の文化にその時代の外来文化を受け入れながら、新しい文化を生み出してきました。例えば日本語もそうです。……このように日本の文化は、早い時期に中国の文化から自立し、中国とも欧米ともちがう独自の文化を築いています」。

育鵬社が日本文化論として述べた所はこの部分だけである。何と、東書らと同じく、外来文化の融合という形でしか、日本文化論を論じられないのである。これに対して、自由社の日本文化論は、「日本文化」の項で紹介したように、1単元全体を使って4点でまとめており、体系的なものになっている。両者の違いに注目されたい。

この違いは、例えば国家論でもみられる。自由社は、国家の役割とは何か、1頁以上の紙数を使って、正面から展開して4点にまとめた。これに対して、育鵬社は、そもそも国家の役割とは何か、といった問題設定をしない。

国家の役割に言及したところを探すと、国際社会編の【国家と私たち】という単元で、グローバル化してきて「国家の機能は低下しているとも言われます」が、「しかし、国民の教育や社会保障、安全保障など、国家が果たすべき役割は依然として大きなものがあります」とあるのみである。結局、国家論の構築から逃げ出したのである。


平成27年7月2日更新