国家の捉え方……国家の本質を定式化した自由社
国内編で国家論をなぜ展開しないのか
9年前の教育基本法改正で、愛国心の教育、国家論の教育が必要となった。国家論の教育をするとすれば、生徒の学習の便宜からいって、国内政治編の冒頭に国家とは何か、その役割とは何か説明するのが適切である。
だが、今回の検定合格教科書を見ると、国内政治編で国家論を展開しているのは、自由社だけとなった。前回では、政治の説明をする前に、清水がかなり体系的な国家論を展開していたし、育鵬社が国家論とはいえない代物ではあったが、一応、国家の説明をしていた。
ところが、育鵬社は、国家論を国際社会編の箇所にまとめてしまい、国内編で国家を説明することを止めてしまった。清水に至っては、国内政治編で展開していた国家論を完全に削除してしまったのである。
では、なぜ、自由社以外の教科書は、国家の説明もしないまま、いきなり民主主義や立憲主義、国会や内閣の説明を行うといったバカなことを行うのか。
それは、CCD(米軍民間検閲支隊)の検閲指針第一九項「ナショナリズムの宣伝」が生き続けており、法学・政治学の世界でさえも国家論が忌避されてきたからである。
したがって、昭和20年代には、公民教科書は、国家の説明を全くしなかった。昭和30年代以降、徐々に国家の説明をするようになるが、国際社会編では対外主権国家の教育を行うけれども、国内編では対内的な国家の目的・役割を教えないという風に、検閲指針との間で折り合いが付けられるようになったのである。
前回ではせっかく自由社、育鵬社、清水の3社が国内編で国家の説明をするようになっていた。ところが、今回、国家に関する教育は完全に後退してしまったのである。
国家の役割を4点でまとめた自由社
結局、評価できるのは自由社だけである。自由社は、国内政治編の最初に、国家の役割を防衛、社会資本の整備、法秩序の維持、国民一人ひとりの権利の保障という4点でまとめた。この4点目の教育は重要である。
戦後公民教科書の多数派(東書等を含む)は、国家の教育をしないどころか、政治権力の必要性さえも教えてこなかった。そして、権力が必要だと教えないまま、《立憲主義とは政治権力を制限することです》と説明するものだから、国家や政治権力と個々人とを対立的に捉える思想を育んできたのである。
このような思想の拡大を阻止する上でも、自由社の国家論は貴重であるといえよう。
平成27年6月29日更新