天皇論……評価できる自由社・育鵬社
評価できるのは自由社と育鵬社のみ
「和の精神」あるいは《社会の融和と連帯》の精神が、象徴及び権威としての天皇を生みだした。
戦後の天皇も、長い歴史的伝統に基づき、日本国家の象徴及び権威の役割を果たし続けている。《社会の融和と連帯》の精神を日本文化の一大特色として挙げた自由社は、「日本の歴史において、権威と権力が分離するようになったのちは、天皇はみずから権力をふるうことなく、幕府などそのときどきの政治権力に正統性をあたえる権威としての役割を果たしてきました。日本国憲法のもとでの天皇も、日本の政治的伝統にならった役割を果たしています」と記す。
すなわち自由社は、日本国憲法下の天皇も基本的に権威として捉えようとしている。
そして、自由社は、現実に諸外国から元首として遇されている天皇について、「対外的には、天皇は諸外国から日本国を代表する元首としての待遇を受けることがあります」とも記している。学問的には正しい天皇元首論につながる見解を表明したのである。
体系的な日本文化論を展開できなかった育鵬社も、歴史的伝統に基づき、天皇を象徴及び権威として捉えようとしている。今回、育鵬社は「天皇は……古くから続く日本の伝統的な姿を体現したり、国民の統合を強めたりする存在となっており、現代の立憲君主制のモデルとなっています」と記すようになった。今日の政治体制を「立憲君主制」と表現したと捉えてよいかは分からないが、「立憲君主制」という言葉が検定を通ったことを喜びたい。
歴史と天皇を切り離す東書等5社
以上みた2社の天皇論は評価できるが、他の5社の天皇論はいただけない。確かに、天皇論は改善された。前述のように、東書と教出は単元名に「天皇」を入れるようになったし、記述分量がかなり増加した。
しかし、学習指導要領には、わざわざ「日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為について理解させる」と規定してある。公民教科書は、何ゆえに天皇が「象徴」とされているのか、何ゆえに「象徴」に相応しいのか、説明しなければならないのである。ところが、5社とも、日本歴史から天皇の地位を読み解こうとはしない。
したがって、生徒は、5社の教科書を読んでも、一向に、天皇の地位を理解できないことになるのである。5社は、特にわずか4行で天皇について記述している清水は、学習指導要領違反ではなかろうか。
平成27年6月25日更新