各社の教科書を読む 公民編通信簿|新しい歴史教科書をつくる会

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公民教科書15項目通信簿……家族と国家が消えていく




公民教科書についても、各社で見解が著しく分かれるか、比較的簡単に調査できる15の重要項目を設定して分析検討した。その15項目とは次のようなものである。

 ①日本文化論を体系的に展開しているか
 ②家族論に1単元2頁以上を割いているか
 ③公共の精神について記しているか
 ④国家論を展開し、正面から国家の定義及び役割を記しているか
 ⑤警察と国防を共に公共財と捉えているか
 ⑥政治権力の必要性について記しているか
 ⑦日本国憲法成立過程の議会審議が不自由であったことを記しているか
 ⑧単元見出しで「天皇」という言葉を入れているか
 ⑨平等権の言葉を使わず、正しく「法の下の平等」と表現しているか
 ⑩沖縄の米軍基地が全体の23%であることが記されているか
 ⑪国益という言葉を用いているか
 ⑫国旗・国歌の相互尊重だけではなく、自国の国旗・国歌の尊重を説いているか
 ⑬北方領土、竹島と尖閣について日本側の立場から記しているか
 ⑭国連の敵国条項の存在を書いているか
 ⑮拉致問題について小見出し以上の位置付けをしているか


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教育基本法を守らない東書等5社

上記表から明らかなように、自由社と育鵬社以外の5社は、今回も公共の精神を記さなかった。表には記さなかったが、5社は愛国心も記さなかった。しかし、平成18(2006)年12月、教育基本法が改正され、第2条で「公共の精神」と「我が国と郷土を愛する」ということが、教育の目標として設定された。それゆえ、「公共の精神」や「愛国心」のない教科書は、教育基本法違反であり、本来検定合格できない教科書ではなかろうか。

教育基本法といえば、その第一条には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とある。したがって、国家及び社会の形成者の育成が教育の目的だといえる。


「国家」は消えたまま

とすれば、教育基本法の趣旨からすれば、国家とは何か、社会とは何か、といったことをどこかで教育する必要があるということになる。その教育を担当するのは、当然に社会科の公民的分野ということになろう。ところが、公民教科書においては、社会とは何かという教育は一定行われてきたが、国家とは何かという教育は、全く無視されてきた。「愛国心」を重視した改正教育基本法から9年経過したけれども、事態は全く変わらなかった。

生徒からすれば、政治編の冒頭に、国家とは何か、国家の役割とは何か、体系的に学ぶ必要がある。国家論を学ばないまま、民主主義や立憲主義、国会や内閣等について教えられても、理解が進むわけがない。にもかかわらず、政治編の冒頭に国家論を教える教科書は、自由社1社だけである。従来は、清水書院が、政治編の最初にかなり体系的な国家論を展開していた。だが、『新しい公民教科書』が本格的な国家論を展開するようになったからか、逆に国家論を削除してしまったのである。

国家論の欠如という欠点は、あらゆる所で公民教科書の内容をおかしくさせている。例えば、経済学的には防衛は第一の公共財とも言うべきものであるにもかかわらず、育鵬社や東書等多数派は、防衛を公共財の中から外している。また、政治家が普通に使っている「国益」という言葉は、自由社と育鵬社以外の教科書では全く使われない。更には、この2社以外の教科書は、他国の国旗国歌を尊重せよとは説くけれども、自国の国旗・国歌を尊重せよとは決して言わないのである。

このように、日本の公民教科書には、体系的国家論が存在しないだけではなく、国家の思想が存在しない。別の言い方をすれば、愛国心が存在しないのである。


 「家族」は戻らない

しかし、もっと恐ろしい事態が進行している。前回、多数派教科書から家族論が消えた。家族教育は、昭和56年度以来、急速に蔑にされてきた。減少していく以前の昭和53年度使用版では、東書など全8社平均では20頁半も家族論にあてられていた。ところが、どんどん家族論の分量は減少していき、家族の言葉が平成20年版学習指導要領から消えた結果、遂に前回、単元名に「家族」を入れない教科書が東書等3社も登場した。単元名に「家族」を入れた4社のなかでも、教出が家族の記述に割いた分量はわずか8行ほどであり、家族論はないに等しかった。1頁以上家族論に割いていたのは、自由社、育鵬社、帝国の3社に過ぎなかったのである。

今回、この恐ろしい事態は改善されるかと期待した。だが、結局、前回と同じく、東書等4社は1頁未満の分量しか家族論に当てていない。「家族」が公民教科書にもどってくることはなかったのである。


全社が日本側の立場から北方領土や竹島、尖閣を記した

ただし、改善された点がなかったわけではない。何よりも、教科書検定基準の改訂を受けて、北方領土や竹島、尖閣をめぐる記述は大幅に改善された。前回は、帝国が竹島と尖閣の問題を書いていなかったし、日文と教出は、日本側の立場から記述するのではなく、中立的とも見える記述をしていた。だが、今回は、全社が領土をめぐる3つの問題を展開し、しかも日本側の立場から記した。分量的にも、3つの問題に2頁用いる教科書が自由社、育鵬社、東書、帝国と4社に増え、多数派となった。

また、これまで酷過ぎたからでもあるが、天皇論がかなり改善された。公的行為を紹介する教科書が増えたし、何よりも単元名に天皇を登場させる教科書が、自由社と育鵬社以外に2社登場した。東書は「国民主権と天皇の地位」という単元を、教出は「国民の意思による政治―国民主権と象徴天皇制」という単元を設けた。戦後の公民教科書は、天皇という存在を極めて軽く扱い続けてきた。小見出しやサブ小見出し扱いさえもしない時代もあったし、比較的天皇を重んずる教科書でも小見出し扱いであった。ところが、『新しい公民教科書』が4頁用いて天皇論を展開した影響か、一挙に天皇の位置付けが高くなったのである。

さて、最後に、右の表を注視していただきたい。歴史の場合と同じく、○の数が多いほど優れた教科書であるといえるが、ここでも○の数を確認してみよう。自由社が15、育鵬社が10、帝国が6、教出が4、東書と日文が2、清水が1となる。無理に言えば、自由社、育鵬社、帝国・東書等5社の3グループが鼎立する図式となろう。



平成27年7月7日更新