各社の教科書を読む公民編 育鵬社|新しい歴史教科書をつくる会

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育鵬社――国家論を退化させた教科書




安倍内閣の広報誌のような薄っぺらさ

育鵬社の公民教科書を読むと、内容が薄っぺらな感じがする。物事の捉え方が、理論的ではなく、現象的である。ある意味で最も本質的かつ重要な日本文化論は、全く体系化されておらず理論的ではないし、同じく重要な国家論も同様である(「各社の教科書を読む【公民編⑤】」)。資料はかなり面白いものが多数掲載されているので、逆に資料集のような感じがしてしまう。

この内容の薄っぺらさと関連するのであろうが、教科書を読み進めていくと、安倍政権の広報誌のような感じがしてしまう。広報誌的性格は、端的に、安倍晋三首相の写真の多さに現れている。安倍首相の写真を数えると、何と全部で14枚も存在する。安倍首相の写真が全くないとすれば、それもおかしな話ではある。だが、内閣総理大臣の指名や党首討論の写真として、数枚程度安倍首相の写真が載せられるのであればうなずけるが、14枚とは異様な多さである。

しかし、実は、他社における安倍首相の写真を調べてみると、見落としが少しあるかも知れないが、東京書籍の17枚、日本文教出版、教育出版、帝国書院の10枚、清水書院の7枚、自由社の3枚となる。10枚以上もの写真を用いている東書等4社の姿勢は、育鵬社と同様、多少ともおかしいのではないか。特に17枚もの写真を用いる東京書籍が表現する思想は、安倍内閣とは相当程度対立するものである。にもかかわらず、ここまで安倍首相という最高権力にすり寄るとは、まさしく驚きである。何ともいやな感じにさせられた。


政治編の前の国家論を削除した育鵬社

さて、薄っぺらさはともかくとして、内容の評価を行うならば、今回曲がりなりにも「愛国心」や「公共の精神」を掲載し、簡単な説明を行った。教科書改善運動を担う教科書としては最低限のことは行ったと言えるから、この点は評価できる。また、【平等権】という単元名を【法の下の平等】という名称に変化させた。単元を読むと、「平等権」という言葉が少し残っているとはいえ、逆差別思想を発生させる「平等権」の思想(結果の平等)から「法の下の平等」の思想(機会の平等)への転換は、大いに評価できよう。

しかし、この二点以外に改善とよべるものはほとんど見当たらない。それどころか、国家論関係は明確に後退した。前回は内容はともかくとしても、民主主義や人権、国会や内閣などを教える政治編に入る前に、国家の定義を行ない、不十分ながら国家の役割にふれていた。従来の教科書は、国家について教えないまま民主主義等を教えようという出鱈目なことを行っていたから、政治編の直前に国家論を書いただけでも評価できることであった。ところが、今回は、政治編の前に置いていた国家論を国際社会編に移してしまったのである。次回には、是非とも政治編の冒頭に国家論を置き、国家とは何か、その役割は何か、体系的に記してもらいたいものである。









平成27年8月10日更新