新しい歴史教科書をつくる会|「史」から 平成24年11月

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日本の真実を伝えてくれる国―ポーランド


 これまで40ヵ国ほど訪れているが、「好きな国」はどうしても「親日国」になってしまう。5月に初めて訪れたポーランドは、想像以上の親日国だった。ショパンの音楽をかけながら「クロサワ(黒沢明監督)、サムライ、グッド!」と連呼するタクシー運転手、街で出会った人々からも、日本への敬愛の気持ちをいただいた。伝統文化や芸術、漫画やアニメに代表される〝ニュージャポニズム〟以外に、親日となった発端は何なのか? 

 それは「日露戦争で日本が強国ロシアに勝利した」ことだった。「祖先が翻弄され続けてきた強国ロシアに勝利」「国家のために全てを傾ける、気高い精神を持っている」と感嘆し、その好感情を今日まで持ち続けているという。しかも帝政ロシア軍の一部として戦い捕虜となったポーランド軍人を、日本政府が厚遇したとされる。

 他にも熱き〝日ポ物語〟があった。祖国の独立を夢見るポーランド人愛国者にとって、長い間、シベリアは流刑の地であり、政治犯とその家族、国内の混乱から逃避した難民など、ポーランド人が多く住んでいた。ロシア革命直後の混乱の最中、ポーランドの民間組織が、「飢餓と疫病で悲惨な状態にあるシベリアの孤児だけでも、せめて祖国に送り届けたい」と欧州各国に救いの手を求めた。どこも顧みない中、手を差し伸べたのが日本政府と日本赤十字社だった。日ポの国交樹立は1919年、両国の大使館がまだ置かれていない状況での人道支援となり、依頼から17日という速さの決断だった。2週間後には帝国陸軍に協力を得て孤児の第一陣が輸送船で日本へ到着した。

 1920年から22年の間に、計765人のポーランド人孤児が日本で心身の健康を取り戻し無事に祖国へ。船上では孤児たちが『君が代』を歌い、「ありがとう」「さようなら」を何度も叫び別れを惜しんだという。2002年に天皇皇后両陛下がポーランドを御訪問された際には、生存していた高齢の孤児にとって「冥土の土産」ともいえる感動的な対面があったと聞く。

 ポーランドによる「鶴の恩返し」は、今日も続いている。阪神・淡路大震災そして東日本大震災の後には、震災児童をポーランドへ招待し、現地の家庭でホームステイをさせてもらっている。宮城県気仙沼市には、幼稚園を作ってくれた。日本の国連安保理常任理事国入りへの、支持も貫いてくれている。日ポの関係を知れば知るほど、両国民の相性の良さ、絆の深さ、そして世界で戦い貢献した日本の先人たちの勇敢さが目に浮かぶ。真の「友好国」とは、共有した歴史の真実を残し、後世にきちんと伝えていかれる関係であるべきだ。

平成24年11月9日更新



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河添 恵子(かわそえ けいこ)
ノンフィクション作家