新しい歴史教科書をつくる会|「史」から 平成24年5月

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 忘れてはならないことは、災害派遣に赴いた自衛官自身も〃被災者〃であったということだ。災害派遣されている隊員は地元出身者が多く、したがって隊員自らが被災者となっていたのだ。家族が被災した隊員は約500人、その中で、両親や妻子といった2親等の家族を亡くした隊員が200人を超えていたのである。本来ならば、行方のわからぬ両親や妻子を探しに行きたいだろう。あるいは、亡くなっていれば弔いもしたかろう。だが隊員は、そんな私心を捨て、それぞれの任地で懸命に不明者の捜索活動や瓦礫の撤去作業を続けたのである。

 こうした献身的な救助救援活動を続ける自衛官の活動を目の当たりにした被災者にとって、自衛官は唯一の救世主であった。
 
 避難所に身を寄せる被災者の中年女性がしみじみという。

 「自衛隊の方がいらっしゃるだけで心強いんです。自衛隊員の姿を見るだけで、ただここらへんを歩いている姿を見るだけで安心するんです。お風呂や洗濯するときも、すごく親切なんです。自衛隊の姿を見ているだけで、癒されます。ほんと、癒されるんです」

 自衛隊員の存在そのものが被災者に安心を与えていたのだ。余震が続く被災地では、大きな揺れがくると、条件反射で自衛隊員を探し、隊員が視界に入ると安心して落ち着いたという。自衛官は、被災者にとって物心両面で不可欠な存在となっていたのである。

 被災各地にはこうした自衛隊への感謝の言葉が溢れていた。そして助けられた被災者の感謝の声が自衛官を奮起せしめたのだった。
被災地には自衛官と国民の強い”絆”が誰の目にも鮮明に見えたはずである。



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井上 和彦(いのうえ かずひこ)
ジャーナリスト