「史」から~パレンバン落下傘部隊の奇跡|新しい歴史教科書をつくる会

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故郷という根を忘れた日本人


「個人にとっての幸福なぞありえない」(『人生論』)とトルストイは言った。個人の幸福のみを目指した行動は、結果として個人を幸福に導かないからだ。これはヘレン・ケラーの「誰かの人生を輝かせるために行動したとき、あなたの幸福は訪れる」という名言にも現れている。しかし物質的豊かさを幸福な人生への条件と見做した社会は、個人の欲求が満たせる社会作りを目標に、物の生産と配給を優先してきた。物差しは需要と市場価値であって、生産に関わる人々の幸福や自然への負荷、また消費者の継続的な幸福は考慮に値するものではなかった。そうして物に溢れた「豊かな」社会に生きる私たちは、どれほど幸福になったのだろうか。若者の死因の第一位が自殺である現代日本において、トルストイの先の言葉は十分に立証されたと言えるだろう。個人の欲求に集中すればするほど、人間は苦しむよう作られているらしい。

 昨年十二月に、単著『故郷を忘れた日本人へ―なぜ私たちは「不安」で「生きにくい」のか』を上梓した。タイトルの「故郷」には日本だけでなく歴史、つまり祖先の物語という意味も含まれる。祖先の物語とは、現代の経済的地位や、国際社会における信用、利便性の高さ、治安の良さ、公衆衛生への意識の高さを含む日本が誇る豊かさを、先人がどのように可能にしていったかを語るものである。「故郷を忘れた日本人」とはつまり、先人の軌跡と功績への感謝を忘れ、今与えられているものを当然のものとして顧みず、さらには足りないものにばかり目を向ける者たちを指す。それがどうして問題なのか。そこに自ら命を絶つ若者が減らない日本の病があるからである。

 先人への恩を知らない人間とは、自分の根を知らない人間を指す。彼らは、脆く、いつも不安である。他人の言葉になびきやすく、依存する相手を見つけたがる。思い通りにならなければ責める対象を探す。ないことにばかり集中して、あることを忘れるからである。感謝を知れば、ないことへの関心はあることに向けられる。そして今の自分を可能ならしめる故郷の過去という「根」の太さに驚愕し、そこに繋がるかけがえのない自分を知る。そうすれば個人の幸福だけを目指しては生きられない。

 本書は祖先の物語に特化したものではなく、それを忘れた日本人の末路を分析し、お陰さまを忘れる生き方がいかに現代人の生きにくさにつながっているかを説くものとなっている。これは日本人に向けた幸福論とも言える。幸福への道を知るには、今どうして幸福でないかを知ることが必須であるからだ。


令和5年4月4日更新




仁平 千香子(にへい ちかこ)
作家