覚悟の無間地獄
―教科書不正検定裁判
【1】 はじめに
私たちは、令和3年9月21日、国ほか教科書調査官ら3名を被告として、東京地方裁判所に1196万6000円の損害賠償を求めて訴えを提起しました。
「つくる会」の存亡をかけた裁判で、訴訟代理人の立場からこの裁判の問題点(争点)と行く末をみなさまに説明し、共通理解を得ておきたいと思います。
弁護士の裁判の説明を聞くなど、難解でめんどうと思わないでください。誰でもわかるように書きますから、最後までおつき合いください。
【2】 国家賠償訴訟とは何か(1)国家賠償というと、仰々しいのですが、本訴は、要するに、誰でもが知る損害賠償請求事件です。とはいうものの、そもそも損害賠償とは何か、その成立要件はということになると誰もが知っているわけではありません。その概要を「史」の読者と共通認識に立ち、これからの長い裁判闘争に備えましょう。
(2)先ず、基本条文は「故意又は過失により他人の権利・利益を侵害した者は、これによる損害を賠償する責任を負う」です(不法行為)(民法709条)。
ただ、公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて不法行為に及んだときは、被害者を手厚く救済するため、直接の加害公務員ではなく、国が賠償責任を負う仕組みになっています(国賠法1条)。こういう場合、民法を一般法、国賠法を特別法といいますが、基本構造は同じです。
(3)さて、不法行為の成立要件はというと①加害者の故意または過失②加害行為の違法性③加害者の責任能力④損害の発生⑤加害行為と損害との間の因果関係です。
本訴において③は、教科書調査官は幼児でも高度の精神病者でもないでしょうから全然問題にならず、⑤もまず問題になりません。④は損害額の算定については格別、本訴は金目当ての訴訟ではありませんから、この論点は主戦場ではなく、問題は①と②です。①と②が認められれば勝訴します。
先ず①の故意・過失についてです。ここに故意とは、教科書調査官らの不正検定行為を表象(心に映ること)・認容(それでもかまわないと思うこと)、つまり、不正とわかってやったことです。私たちは、調査官らが自由社の教科書を検定するにつき、不正検定を表象・認容つまり「故意」を超えて「目的」としていたことを知っています。もとより訴状でそう主張しています。しかし、もちろん、被告らが「やりました」と口を割ることは絶対にありません。次に、過失です。ここに過失とは注意義務に違反することです。注意義務違反は不正検定―誤った検定―になる結果を予見しかつこれを回避するという二つの義務に違反することです。
今回の検定には、同一又は同旨の記述について、他社の教科書は可とし、自由社の教科書は不可とした事例が多々あるのですから、注意義務違反は明白です(ロンドン海軍軍縮条約の米英日の補助鑑保有比率10:10:7の話など、他のわずか7社の教科書の該当部分との比照すらしていない)。過失というより重過失(ほんのちょっと注意すれば予見・回避できた)ではないでしょうか。ちなみに、刑事と違い民事では故意と過失は同価値です。
次に、最大の争点、違法性です。違法とは全体としての法秩序に違反することです(犯罪はもとより、借りた金を返さないのも不貞も法秩序に違反するから違法)。「見解の相違」や「裁量権の範囲」の問題がこの論点の中に入ってきます。違法でなければ合法ですから、賠償ということにはなりません。ここに無間地獄が始まります。
(4)私たちは、本訴において、国を被告としただけではなく、教科書調査官ら3名も被告に加えました。国が(国賠法に基づき)賠償責任を負う場合に加害公務員個人に(民法に基づき)直接に賠償責任を負わせられるかという問題があります。
この公務員の個人責任について、判例は最高裁を含めて否定するのが多数説です(代位責任説)。国が賠償するんだからそれでいいじゃないかということです。
一方、少数説ですが、公務員の個人責任を認める学説・下級審判例もあります(自己責任説)。公務員の職務執行の適正を担保するための必要性を理由とします。
私たちとしては、現在の教科書検定の実態を見る限り、この少数説に与するしかないではありませんか。
(5)というわけで、これは長い裁判闘争になります。結局、最高裁までいくことになります。で、見通しです。私たちは、本訴を提起した9月21日、文科省で記者会見を開きました。その時、朝日新聞の記者が、国賠訴訟では原告(国民側)が圧倒的に有利と思える事案でも敗訴する場面を見てきたと発言しました。そうなのです。裁判所は、国と国民が法廷で対峙すると、なぜか公務員の裁量の範囲を広く解釈するなどして国を勝たせるように見えます。私たちの目から見ると、本事案など明白に違法な職務執行ですが、予断を許しません。
こう考えようではありませんか。勝つから闘う、敗けるから闘わないではなく、闘わなければならないから闘うのです。
【3】 安藤論文ついて
(1)雑誌「正論」2021年9月号に同誌編集部安藤慶太という人の「つくる会の迷走を憂う」と題する論文が掲載されました。私たちは「迷走」していることになっています。読解力がないわけではない私は、この10頁にわたる論文、初めから終わりまで何度読んでもよくわかりません。「迷走」しているのはつくる会ではなく、この「論文」ではないでしょうか。
この論文の言いたいことは、どうやら、唯一つ、私たちに誰の意を汲んでなのか文科省相手に「裁判起こすな」と言っているようなのです。今回、私たちは、氏の忠告に逆らって氏がしてほしくないことをして迷走を続けていることになります。もっとも、私たちは「迷走」ではなく「疾走」しているつもりですから悪しからず。
(2)この論文全体に対する反論は措いて、法律家の目から見て「理解し難い」「誤解するおそれ」のある記述を少し指摘しておきます。
平成12年度の検定問題の時は、元インド大使野田英二郎という「犯人」がいたが、今回はいないというのです。「犯人」はいます。文科省と本訴被告らです。
不正検定の証拠がないともいいます。証拠とは不正検定を認定する判断資料のことです。証拠は過去の人間の行為の痕跡で、不正検定の痕跡、足跡はベタベタ山程あります。証拠の有無と証拠の証明力とをゴチャゴチャにしているようです。
令和元年度の検定で不合格になっても、その延長戦・再試合の翌年度の検定で合格したのだから本訴で回復する利益がないなどとも言います。怪我させた人に治療代払えと言ったら、もう治ってるからいいじゃないかといえるのですか。
最後に、もう一つ。訴訟を起こす主体は誰なのかなど心配してくれてます。原告は最初から自由社に決まっています。一体、何を言いたいのでしょう。
【4】 結び
結局、いつもこうなります。最後は、容共左翼・共産主義者(自由の敵)との
闘いです。私たちの教科書はなぜ検定で不合格になったのでしょう。私たちの教
科書が史実に基づき初めて共産主義の悪を記述したからです。
私たちは、美しい日本の誇りある歴史を取り戻しましょう。
やまとは 国のまほろば
たたなづく あをかき
山ごもれる やまとしうるはし
令和3年11月9日更新