「史」から~吉田清治 虚偽証言の背景を探る|新しい歴史教科書をつくる会

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吉田清治 虚偽証言の背景を探る

10数年前から日本軍による強制連行説を世界に広めた吉田清治という人物に興味を持っていた。吉田証言については現代史家の秦郁彦氏が慰安婦狩りの舞台となった済州島で調査を行い、平成4年に産経新聞でその虚偽性を指摘しているし、吉田氏本人も平成8年に週刊新潮の取材で創作話しであったことを認めている。

安倍総理も平成9年に国会答弁で 「そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が(略)」と発言している。一連の批判に耐えきれず、朝日新聞は平成26年になってようやく吉田証言を虚偽と判断し、16本の記事を撤回した。本来ならここで終わる話だ。

ところが奇妙なことに吉田証言は生き続け、次々と建てられる慰安婦像の説明文に憑依して国際社会で現在もなお、増殖しているのだ。

国連で吉田証言を重要な証拠として採用し、日本への非難勧告を行ったクマラスワミ報告も外務省の申し入れにも関わらずいまだ撤回に応じていない。

誤解を恐れずに言えば吉田証言はプロパガンダとしては大成功だったのではなかろうか?だがこのプロパガンダを行った人物の来歴は謎に包まれたままだった。生年も出生地も定かではなく、学歴も経歴も不明。そして名前はいくつもある。さほど歳も違わない朝鮮人を何故か養子にもしている。

一体、吉田清治とは何者だったのか?その謎を解明したい衝動にかられ、吉田氏の長男を訪ねた。

長男は関東北部の県で質素な1人暮らしをしていた。最初の取材で重たい口から発せられた言葉は「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様に本当に申し訳なく思っております。できることなら、クレーン車で世界中の慰安婦像を撤去したい、・・・』だった。

「父の責任は重大ですが、一方であれだけの創作話を父1人でできる筈がありません。慰安婦問題を既成事実化したい人々の何らかの関与があったはずです」。  

それから何度か長男のもとに通い、過去の記憶をたどるうちに驚愕の事実が続々と明らかになってきた。

「父は済州島(吉田氏が慰安婦狩りをしたと著書の中で告白した島)なんか行っていません。家で地図を見ながら原稿を書いていました」「謝罪行脚のため訪韓した際、父のパスポートに入国スタンプは押されていませんでした。何故なら・・・」。

朝日新聞は吉田氏の戦後の経歴を「サラリーマン」などと報じていたが、吉田氏は人生の大半は定職につかず、その生活費は息子達が賄っていたという。

著作、講演活動を繰り広げながら満足にお金を得ることもなく、生活は常に困窮していた。吉田氏は一体、誰の何のために活動してきたというのか?

その謎を解く鍵の1つは吉田家と家族ぐるみで長期にわたって付き合いがあった神奈川県警の刑事堂上明氏(仮名)から教えてもらった。

吉田氏は「朝鮮半島のある組織にお金を借りていた」というのだ。吉田氏の韓国謝罪行脚をテレビで見ていた堂上氏は「正直なところ、可哀そうだなと思いました。(略)痩せちゃているし、怯えている姿そのものでしたよ、・・・」と当時の印象を語っている。

果たして吉田氏を動かしていた朝鮮半島の組織とは?堂上氏は“KCIA”(韓国中央情報部)と推測していた。とはいえ本当にKCIAなら様々な観点から、そのずさんさにも首をかしげたくなる。

そんな疑問を堂上氏にぶつけると「KCIAも、途中で嫌になっちゃったんだと思いますよ。この人を利用することはできないなと気がついた。そしてKCIAより、朝日新聞がうまくやってくれたということ」と苦笑した。

この時期、韓国側の動きを紹介する。「韓国元大統領「昭和天皇」の反省表明求める…"植民地支配"「強い言葉で反省を」 韓国外交文書で発覚」(産経新聞2015・3・30)。

これは1984年9月に韓国の全斗煥大統領(当時)の初訪日の際、朝鮮半島統治などについて昭和天皇の反省表明を日本側に求めていたという記事だ。

84年に昭和天皇が宮中晩餐会で韓国に伝えた遺憾の意は、83年の清治氏の訪韓謝罪パフォーマンスなどを集中的に報じた朝日新聞の世論誘導と無関係といえるのだろうか?
ちなみに “済州島で慰安婦にするための朝鮮女性を強制連行した”と告白したと日本が朝鮮人女性を強制連行した決定的な証拠として日韓の活動家らに重宝された『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』は 三一書房から1983年7月に出版された。

誰よりも吉田清治を知る長男の告白は、ジワジワと慰安婦問題の虚構の化けの皮を剥がしてゆくこととなろう。



平成29年7月14日更新



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大高 未貴(おおたか みき)
ジャーナリスト