「史」から~伊勢神宮――日本の重石|新しい歴史教科書をつくる会

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伊勢神宮――日本の重石

世界の首脳が伊勢神宮を参拝

5月26日と27日の2日間、伊勢志摩サミットが開催された。主要国首脳会議(サミット)が、伊勢志摩の地で行われたことの意義は、大きい。大きいというよりも、深いというべきであろう。政治・経済の問題に関係するにとどまらず、精神の領域にも関わることだからである。それは、いうまでもなく、ここに伊勢神宮があることから来るのである。

伊勢神宮には、かつて『日本美の再発見』で桂離宮を称賛したドイツの建築家、ブルーノ・タウトや『歴史の研究』で著名なイギリスの歴史家、アーノルド・J・トインビーなども訪れ、その日本的な美と精神性に心打たれた。今回のサミットに際しては、先進7か国(G7)の首脳が、伊勢神宮を訪問し、内宮の「御正殿」で御垣内参拝を行った。通常の「二拝二拍手一拝」の作法は求めず、自由に拝礼してもらう形をとったが、外国の要人たちが、伊勢神宮の聖なる空間に佇み、日本の精神の基層にあるものに触れたことは、精神史的に深い意義を持っている。

宗教学者の山折哲雄氏は、日本には2つの中心があり、国家の中心は東京、国土の中心は富士山、と言われたことがある。これを敷衍していえば、日本の精神の中心は、伊勢神宮といえるのではないか。しかし、中心というと、中心の外に周辺的なものがあり、その周辺的なものも同じ平面上にあるという風に水平的に捉えられかねず、日本の精神風土では誤解を生むかもしれない。そこで、日本の精神の中心、というよりも、日本の精神の重心といった方が正確であろう。

重心というのは、精神の垂直性に関するものであり、精神を安定させ、支えるものだからである。日本の精神には、もちろん様々な表れがある訳だが、それらの多様な形の基層にあるものが重心であり、そのようなものとして、永く日本人の精神史に底流として存在してきたのが、伊勢神宮だからである。

ドイツの詩人、リルケの『マルテの手記』(大山定一訳)の中に、「ベニスは全世界の重石、しかも静かな美しい重石だった。」と、リルケらしい天才的直観を書いている。この重石は、世界の重心につながっているであろう。それに倣っていえば、伊勢神宮は、日本の重石、しかも静かな美しい重石、といえるのではないか。

リルケは、旅行者の空想の中に描かれたベニスとは違ったベニスの本質を見抜いた。「もうすぐ寒くなるだろう。彼らの空想の贅沢な偏見にゆがめられた『かよわい、眠たげなベニス』は、くたびれた眠そうな異国の旅行者といっしょに消えてしまうのだ。そしてある朝、全く別な、現実の、いきいきした、今にもはじけそうな、元気のよい、夢からさめたベニスが、姿を見せるに違いない。海底に沈んだ森の上に建設されたという、『無』から生まれたベニス。意志によって建てられ、強制によって築かれたベニス。あくまで実在に堅く縛りつけられたベニス。きびしく鍛えられ、不要なものを一切切り捨てられたベニスの肉体には、夜ふけの眠らぬ兵器廠が溌剌と血液を通わせるのだ。そのような肉体が持つ、精悍な、突進しか知らぬ精神には、地中海沿岸の馥郁たる空気の匂いなどから空想されるものとはおよそ比較を絶した凛冽さがあった。資源の貧しさにもかかわらず、塩やガラスとの交換で、あらゆる国々の財宝をかきよせた不逞な都市ベニスだ。ただ表面の美しい装飾としか見えぬものの中にさえ、それがかぼそく美しくあればあるほど、強い隠れた力を忍ばせているベニス。」とベニスについて様々に語った後、前に引用した「ベニスは、全世界の重石、云々」の名言が続くのである。


我が国の「凛冽峻厳な意志の実例」

平成23年の東日本大震災の後、四月から半年間、私はベニスに暮らした。大震災後の危機感の中で、「旅行者」としてではなく生活した私には、このリルケの直観が分かったような気がした。雨の夕方、ベニス本島の北東にあるムラーノ島の船着き場で、船を待っているとき、1枚のポスターに英語でこのリルケの名言が書かれているのを見た。他に人もいなかった。 

『マルテの手記』は、もちろん若いときに読んでいたが、この言葉は記憶に残っていなかった。だから、雨に濡れたポスターにあったリルケの言葉は、私の心に突き刺さってくるようであった。

「ベニスの町が享楽の土地ではなく、世界のどこにも見当たらぬ凛冽峻厳な意志の実例である」ともリルケは書いているが、私は、伊勢神宮というものも「凛冽峻厳な意志の実例」ではないか、と考えている。この意志こそこの時代の国家形成の苛烈さである。伊勢神宮は、神聖な空間として畏敬されるだけでは十分ではない。森厳な雰囲気だけではなく、伊勢神宮の成立に籠っている「凛冽峻厳な意志」が感じ取られなければならない。  

それが、日本という国家の重石だからである。唯一神明造という様式の直線の美しさは「およそ比較を絶した凛冽さ」を象徴しているのである。



平成29年4月26日更新



新保氏写真-001.jpg


新保 祐司(しんぽ ゆうじ)
文芸批評家