「史」から~戦後70年と安倍談話|新しい歴史教科書をつくる会

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戦後70年と安倍談話



戦後70年がそれほど重要なのか? 

この8月14日に安倍首相による戦後70年談話が発表された。この談話自体がすでに国際政治に巻き込まれており、中国、韓国からの圧力のなかでの発表はいささか異常な事態であった。談話内容は事前にアメリカへも伝えられていたというから、ほとんど国際的な公約の宣言のようなものである。日本の戦後70年がそれほど重要な意義をもった国際的事件なのか、と皮肉を言いたくもなる。

今ここで談話内容について是非を論じる必要はないであろう。中国、韓国への配慮もあり、米国にも配慮している。改めて、村山談話や小泉談話で述べられた反省とお詫びを引き継ぐと述べ、これ以上の謝罪を未来の世代に引き渡すことはやめようと、という。このメッセージは明確であり、また、アジアが植民地化されるという19世紀の歴史を振り返りつつ、日本の近代化の意味を論じていることもまた新鮮であった。

ただ、それにもかかわらず、私には、この談話の背景をなしている「歴史観」が気にかかる。その歴史観とは、おおよそ次のようなものといってよいだろう。


談話の背後にある「歴史観」とは

19世紀は西洋列強によるアジア、アフリカの植民地化の時代であった。しかし、悲惨な犠牲を出した第一次大戦を境に帝国主義への反省がでてくる。特にアメリカのウィルソン大統領は、世界の民主化と民族自決を唱え、平和実現のために国際協調主義と打ち出す。1928年の不戦条約もこの流れのなかで生まれたものであった。

にもかかわらず、日本はこの世界の潮流を理解できず、遅れてきた帝国主義の実践者として国際秩序への挑戦者となった。しかし、日本による世界秩序への挑戦は失敗し、戦後日本は反省とともに、国際協調主義を打ち出すこととなった。そして、今日の日本は、この延長上に、アメリカとの同盟を強化しつつ、世界の民主化と平和的秩序の実現に向けて積極的平和主義を打ち出している。

おおよそこうした歴史観である。確かに、第一次大戦以降、国際協調主義が芽生えていたことも事実であろう。ウィルソンの理想主義がそれなりの影響力をもったことも事実であろう。国際連盟が成立し、後には大西洋憲章も出される。しかし、アメリカは国際連盟には加盟せず、不戦条約にも一定の条件をつけた。決して、20世紀は国際協調主義へ向いた理想主義の時代であったわけではない。

にもかかわらず、この歴史観が戦後、既定事実化してゆく。いわば勝者が作り出した歴史観が普遍化されてゆく。そもそも「普遍主義(universalism)」とは、「ひとつ(uni)」へと「方向付ける(vers)」という意味であり、多様なものの統一ではない。

ある特定の「ひとつ」に向けて全体を一致させるのである。この場合には、勝者の歴史観へと方向付けられたものが、普遍性をもった歴史観とみなされたといってよい。

この歴史観を端的に表明したのがポツダム宣言であった。ポツダム宣言は、この戦争が、世界制覇を意図した軍国主義者による世界秩序への侵略であり、自由な人民がこれに抗して立ち上がった、という。軍国指導者たちは厳重に処罰され、日本からいっさいの軍事力を排除しなければならない、という。かくて、占領政策の最大の意図は、日本の非軍事化と民主化であった。そして、GHQは、日本人に対してあの戦争が日本の世界制覇を意図した戦略戦争であった、とするいわゆる東京裁判史観を叩き込んだ。

歴史は、自由や民主主義、人権、法の支配、個人の富の実現などといった「普遍的価値」の世界的な実現に向けて動くという歴史観はきわめて「アメリカ的」なものというほかない。

その意味では、アメリカは一貫しており、第一次大戦、第二次大戦、冷戦、対テロ戦争、イラク戦争など、すべてこの歴史観を前提にしている。そして、民主的な世界秩序の実現にこそアメリカの国益がある、というのだ。


日本の「歴史観」「世界観」

果たして、日本人はあの戦争を、そのように理解していたのであろうか。終戦の詔勅において昭和天皇は、この戦争の意味は「帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スル」ところにあった、と述べる。これを今日的な視点から、侵略戦争の口実に過ぎない、などといってもさしたる意味はなく、当時の日本人の大多数は、それが日本の戦争だと考えていた。むしろ、自由・民主主義による世界秩序こそが、英米の世界支配の口実だと見ていたのである。

どちらの歴史観・世界観が正しかったか、ということではない。日米両国が、異なった歴史観をもち、異なった世界観をもっていた、ということである。

にもかかわらず、占領下において、日本人の歴史観は一変した。アメリカ流儀の、「自由・民主主義・人権という普遍的価値による世界秩序」という思想をほぼ全面的に受け入れたのである。これが戦後の70年であった。

安倍首相の戦後70年談話にはそのことが鮮明に表わされている。それをよしとするか、やむをえないとするか、いや、それでは困る、というか。われわれが一人ひとり考えるべきことであろう。

私には、戦後70年とは、何よりもまずは、価値観の上での「アメリカへの従属」としか見えないのである。



平成28年6月8日更新



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佐伯 啓思(さえき けいし)
京都大学名誉教授