「史」から~新聞がGHQに屈服した日|新しい歴史教科書をつくる会

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新聞がGHQに屈服した日



終戦直後の日本の新聞業界は深刻な用紙不足に悩まされていた。

戦争により主要紙業地だった樺太(サハリン)を失ったため製紙が間に合わないという事情もあったが、それだけではなかった。日本を支配していたGHQ(連合国軍総司令部)が厳しい用紙統制を敷き、各新聞に割り当てることで、その論調を規制しようとしたのである。

このため昭和20(1945)年から翌年頃にかけては、全国紙といえどもほとんどは表裏2ページ建てというのが普通で、虫眼鏡でないと読めないような小さな文字で日本復興へのニュースをぎっしり詰め込んでいた。

ところが20年12月8日付の朝刊だけは違っていた。いうまでもなく「真珠湾」からちょうど4年という日である。全国紙から主な地方紙にいたるまで4ページという「大盤振る舞い」だった。だが読者が驚いたのはそれだけでなかった。増ページ分に当たる2ページは「太平洋戦争史」という企画記事で埋め尽くされていたのだ。 しかも見出しこそ各紙で異なるとはいえ、内容はほぼ一字一句にいたるまで同じだった。

その中身は「満州事変から降伏調印まで 連合軍司令部の記述せる太平洋戦争史」(毎日新聞)だといい、日本の「軍国主義者」たちが隠ぺいしてきた戦争の「真実」を国民に知らせ、なぜ日本国民がかかる悲惨な目に遭わなければならなかったかを理解させるための記事なのだという。

具体的には昭和6年の満州事変で第二次大戦が事実上始まり、日本軍は華北に「侵略」し、南京における悪虐をはたらき、ついに米国との戦争にいたったということが綿々とつづられている。さらに翌9日付からは各紙申し合わせたように8~9回の連載を行い、ミッドウェー以降、日本の「軍国主義者」たちが如何に無謀な戦いを続け、敗れたかを記述している。

つまりは満州事変での侵略から始まり、すべては日本が間違えていたという戦勝国による「東京裁判史観」を日本国民に植え付けるため、GHQが強制的に新聞に書かせた記事だった。GHQによるいわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)の一環だった。だがいくら敗戦国とはいえ、他国の歴史観を大々的載せるなど、ジャーナリズムにとって屈辱以外の何ものでもなかった。

この徹底した言論統制とWGIPについて調べあげた江藤淳氏の『閉された言語空間』は「日本の言論機関なかんずく新聞は、世界に類例を見ない一種国籍不明の媒体に変質させられたのである」と述べている。

むろん拒否すれば用紙を配給されず廃刊に追い込まれたのは間違いなく、受け入れるしかなかったのだろう。だがこの12月8日がその後70年余りにわたり日本人を支配した自虐史観の出発点になったことを考えれば、新聞人のみならず国民すべてが「屈辱の日」として銘記すべきである。



平成28年1月6日更新



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皿木 喜久(さらき よしひさ)
副会長・ジャーナリスト