ボイスリレー Vol.006|新しい歴史教科書をつくる会

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現「日本国憲法」 無効論


西村真悟前衆議院議員からのメールに、同氏の奥様が、毎年、5月3日の「憲法記念日」には、「半旗」を掲げておられたとの記述があった。(「半旗」は弔意を表す。つまり、全くめでたくないという意思表示である。)また、同日の産経新聞には、一面に、「憲法70歳。何がめでたい」との(同主旨の)記事が掲載されていた。全く同感である。

現「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」(明治憲法)を改正したという体裁をとっている。

大日本帝国憲法の改正に関する条項は同第73条と同第75条にあった。

同第73条は、「将来此ノ憲法ノ『条項』ヲ改正スルノ必要アルトキハ『勅命ヲ以テ』議案を帝国議会ノ議ニ付スベシ。」となっており、
同第75条は、「憲法及皇室典範ハ『摂政ヲ置クノ間』之ヲ変更スルコトヲ得ス。」となっていた。

処が、現憲法は、マッカーサーが、部下に命じて、僅か1週間余で、英文で作成させたものを単純和訳させて、「日本国憲法草案」なるものが作成され、昭和21年2月13日に、当時の日本政府に対して手交された。そして、その後、同年3月6日、昭和天皇が「朕ここにポツダム宣言を受諾せるに伴ひ『日本国政治の形態は日本国民の自由に表明したる意思に依り決定せらるべきもの』なるに顧み日本国民が正義の自覚に依りて平和の生活を享有し文化の向上を希求し進んで『戦争を放棄して』誼を万邦に修むるの決意なるを念ひ及ち国民の総意を基調とし人格の基本的権利を尊重するの主義に則り憲法に基本的の改正を加へ以て国家再建の礎を定めむことを庶幾ふ政府当局其れ克く朕の意を体し必ず此の目的を達成せむことを期せよ」との勅語を発せられた。

つまり、昭和天皇が、「主体的に」「勅命によって」憲法改正を帝国議会に付された訳ではなかったのである。昭和天皇の、形だけの「勅命的」な発表がなされた時点において、もう既に、GHQによって、「現日本国憲法草案」なるものが作られてしまっていたのである。

昭和天皇が上記で触れられた「ポツダム宣言」には、13項目が列記されている。その中には、どこにも、「…日本国政治の形態は日本国民の自由に表明したる意思により決定せらるべき…」などの文言はない。その様な内容に関する部分は、同第12項に、「日本国民が自由に表明した意思による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。…」とあるのみである。ましてや、我が国が憲法を入れ替えなくてはならないとは何処にも書いてない。また、同宣言の何処にも、「我が国が戦争を放棄する」とは書いてない。

GHQから指示を受けた、マッカーサーの管轄下におかれていた、当時の日本政府が、同じくマッカーサーの管轄下におかれていた昭和天皇に、GHQが作成した現日本国憲法草案による、憲法改正の『勅命』を、後追いでお願いして、それを受けて、昭和天皇が、当時の国会に付議されたのである。

しかも、その「勅語」では、大日本帝国憲法第73条の「…改正スルノ必要アルトキハ…」とあった、「大日本帝国憲法改正の必要性」に付いて全く説明がなされていない。「…改正の必要性…」というからには、「大日本帝国憲法のどの部分が、どの様に問題、支障が有るため、この様に改正したい。」という説明がなされなくてはいけないはずである。処が、昭和天皇が発せられた「勅語」では、その様な説明は全くなされていない。その実態は、GHQの指示(命令)によって強制的に進められたのであった。

また、同第73条の法の精神からすれば、時系列的には、①まず、昭和天皇(当時)から、上記、憲法改正の事由(理由)等に関しての明示と共に、憲法改正の勅命(発議)が明示されて、⇒ ②その後、憲法改正の必要な条項の「改正案」が政府によって作成され、⇒ ③その後、同改正案の是非が帝国議会(当時、貴族院と衆議院)で審議されて議決された後、④公布される。という手順を当然踏まなくてはならなかったはずである。

処が、①がなされずに、②が、既に成されていたのである。しかも、我が国政府によってではなく、占領軍GHQによって、現日本国憲法草案なるものが既に作成されてしまっていたのである。

当然のことながら、当時のGHQに、我が国の憲法を作る権限は全く無い。

また、同条には、「…憲法の条項を改正スルノ必要アルトキハ…」とあり、「…改正の必要が生じた条項を改正する場合は…」となっていた。つまり、憲法そのものを全文入れ替えるという主旨、意味ではないことは明らかである。処が、現日本国憲法は、大日本帝国憲法の中の「改正する必要の有る条項」を改正したということではなく、「全て入れ替えた」のである。しかも、大日本帝国憲法では、「天皇主権」となっていたのを、現日本国憲法では、「国民主権」となっている。どの様な国家の形態が望ましいかは別として、国家体制の大きな基本であった「天皇主権」を「国民主権」に変える事など大日本帝国憲法では全く想定していなかったのである。

また、その様に大きな、国家の基本形態を変更するということであれば、民主主義国家としては、当然、その事の是非を、全国民に、(例えば、「国民投票」という形等で)問わねばならなかったであろう。処が、その様な手順は全く踏まれていなかった。

また、大日本帝国憲法第75条の「…摂政ヲヲクノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」に関しての法の主旨は、天皇の代理として「摂政」を置かざるを得ない状況の下では、つまり、天皇の主体性が保持出来ない、天皇の主権がない状況の下では、憲法改正は出来ないとなっていたのである。 

処が、(前述のとおり)当時の昭和天皇はGHQ、マッカーサーの管轄下におかれていたのである。当時の昭和天皇は、摂政をおくよりも遥かに大きな制約を受けておられたのである。しかも、当時の我が国は、主権も外交権も国防力も全く無かったのである。つまり、国家としての機能、権能を消失した状態だったのである。その様な状況は、摂政を立てている状況よりも遥かに、天皇の主体性、天皇の主権はない状況であった。天皇の主体性、主権だけではなく、国家そのものの主体性、主権が失われていた状態だったのである。

その様な状況下では、大日本帝国憲法を改正することが出来なかったことは、同憲法第73条の「法の精神」からして自明の理である。

また、「戦時国際法 ハーグ陸戦法規 第43条」(明治40年(1907)10月18日ハーグにおいて調印、日本は、明治44年(1911)11月6日批准)には、「戦勝国が敗戦国を統治する場合はその国の法律に従わねばならない」(「国の権力が事実上、占領者の手に移ったときは、占領者は、絶対的支障がないかぎり、『占領地の現法律を尊重して』、なるべく公共の秩序、および生活を回復確保するために施しうる一切の手順を講じなければならない。」)ことが決められていた。つまり、占領下において、その国の法律(当然、憲法も含まれる)を勝手に変更する事は国際法的にも許されなかったのである。

戦後を代表する憲法学者の1人と言われている、宮澤俊義という人物が、現憲法に関して「八月革命説」なるものを唱え、その説が長く通説としての立場をしめているという。(※宮澤俊義 明治32年(1899)~昭和51年(1976)、日本の法学者。専攻は憲法。元東京大学教授。同名誉教授。貴族院議員。文化勲章受章。)

しかし、実際には、大日本帝国憲法が現憲法に改正されたとする、当時(昭和20年~22年)の我が国において、通常の意味、真の意味においての「革命」は起きていない事は周知のとおりである。

当時の我が国に、実際に「革命」が起きた訳ではないが、大日本帝国憲法が現日本国憲法に改正された事は、法的に革命が有ったのだとでもしなければ説明がつかない、法的に「大きな無理」があったということである。

「主権が、天皇から国民に移行する」という国家の基本形態を大きく変更、変革する時には、(どの様な選択肢が最も良いにしても)民主主義国家として、全国民の総意を得る必要は当然あった。しかし、(前述のとおり)その様な「国民の総意」を得るための手順は、「国民投票」という手段を含めて、全く経ていなかったのである。

また、「ポツダム宣言」を受諾した当時の我が国政府にも、当時の日本国民にも、「天皇主権から国民主権に」変えなければならないという自覚は全くなかった。また、その様に変わったという認識も全くなかったのである。

また、「憲法に対する国際法の優越」というものがあることからしても、戦時国際法「ハーグ陸戦法規」第43条に大きく違反して、「GHQが現日本国憲法草案を作成して占領下の我が国に押し付けた」という事実からしても、現憲法が国際法的に無効であることは明らかである。

つまり、現憲法は明らかに国際法違反であり、同時に、(前述のとおり)明らかに国内法違反でもある。

「…とは言っても、現憲法が施行されて、もう既に70年以上経っているし、また現憲法に基づいて多くの法律が作られ、現憲法の下に長期間我が国が運営されてきているから…現憲法無効というのは非常に無理がある。」と主張する人がいる。しかし、「憲法無効に関する時効はない」(大日本帝国憲法の何処にもその様な「…時効」の定めはなかった。)のである。

国家の最大責務は、「領海、領空、領土を守り、(我が国の場合は、天皇を中心とした)国家体制を守り、併せて、国民の生命、安全、財産を守ること」である。しかし、現憲法には、それらを一切守らくてもよいと記してある(のに等しい)のである。

もしも、本気で、上記の、国家としての、守るべきものを守ろうとすれば、軍事力を含めて、守るための「力」が必要であることは極く当然のことである。(内政的に、「警察」や「消防署」等が必要であることと同様である。)

その様な意味において、現憲法の第9条は全く問題外である。とても独立国家の基本法たり得ない。

また、現憲法の第24条には、「…離婚並びに婚姻は…」と記してある。何と「婚姻」よりも「離婚」が先に記してあるのである。これも全く問題外である。何故、その様な事になっているのか?それは、GHQによって「英文」で作成されたものを単純和訳したからである。

また、前文には「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我が国の将来を委ねる…」という主旨の事が記してある。我が国の周囲に、「公正」や「信義」を期待出来る国が一体有るのか?…中国、韓国、北朝鮮、ロシア、全て、「公正」と「信義」を平気で裏切る(反故にする)国ばかりである。全く虚偽の、所謂「南京大虐殺」や同「慰安婦の強制連行、姓奴隷」などと、平気で嘘をつき続け、「竹島、北方領土、尖閣」等、平気で、我が国の領土を奪い(或いは、奪おうとし)、無法にも、日本国民拉致を平気で行い、暴力団
よりも遥かに悪どく、不当に我が国からお金を巻き上げる国ばかりである。憲法前文で述べている様な国は(台湾を例外として)我が国の周囲に唯の1つも無い。

前文は、現実無視の、実に酷い内容である。

同第88条と同第8条には、皇室財産に関する事が記してある。処が全く整合性がとれないことが記してある。同第88条には、「皇室財産は全て国家に属する。」となっている。つまり、皇室の私有財産は認めないとなっている。処が、同第8条には、皇室の私有財産を認める前提の内容となっている。それらは全く整合性が取れていない。つまり、支離滅裂なのである。この様にいい加減なものは、全く国家の基本法たり得ない。

また、同第89条には、「…公に属さない(つまり民間の)慈善、福祉、教育に国家予算を使ってはならない…」と記してある。処が、「私学助成法」関連や厚生労働省管轄の民間事業等に、毎年、相当多額の予算が使われている。それらは憲法違反であるということになる。憲法違反だから使ってはいけないということではなく、その様な事を禁止している現憲法がそもそもおかしいのである。

以上の事由等により、現日本国憲法は全く問題外である。(繰り返しになるが)全く独立国家の基本法たり得ない。この様にいい加減なものを「護憲」だなどと主張する政党や政治家は現憲法を真剣に読んだことがないのであろう。全く問題外である。

最もまともな進め方は、衆、参、それぞれ過半数の賛同によって、「現日本国憲法の無効決議」をして、「大日本帝国憲法を基にして改正」することである。そして、我が国は早く、「まともな独立国家の姿」を取り戻さねばならない。

GHQによって現日本国憲法が我が国に押し付けられてから70余年、一字一句変更せずにきた事は、我が国の戦後政治家の大いなる怠慢である。我が国の政治家は、もっと真剣に勉強して、もっと真剣に、政治家としての使命、本分を果たさなければならない。

我が国は何としてでも、早く現憲法の無効決議をして、大日本帝国憲法を基にして「自主憲法」を制定すべきである。        


平成29年5月9日更新



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諸橋 茂一(もろはし しげいち)
新しい歴史教科書をつくる会 理事