「国民経済」という理想
国民経済という概念、国民経済という観念、国民経済という理想。その三者のいずれをつかうかは、その文脈によるのだが、ここでの私は理想を語る文脈でつかいたいと思う。
焼土と化したわが祖国が、敗戦直後にわが国民に呼びかけたのは国民経済の復興であり、それにつづけて起こったところの所得倍増計画においても、その趣旨は国民経済のさらなる振興にほかならなかった。
そして70年代にはいると、国民の9割までもが自分をミドルクラスに属すると思えるようになった。つまり上流と下流、富裕層と貧困層がそれぞれ5%以内になり、国民の圧倒的多数が中流に属すると思うようになった。そのことを世界が絶賛した。
日本という国は、一滴の血も流さずに社会主義諸国よりも平等な社会をつくり上げた。つまり、流血の革命と権力の集中、独裁政治も恐怖政治もなくして、世界史上かつてなかった平等社会を実現したと絶賛されたのである。ある歴史家はそれを「日本の黄金時代」といった。
私はたまたま90年代初頭にパリのグランゼコール(大学院大学)で日本論を講義する機会に恵まれたのだが、そのとき私は黒板に大きな円盤型とピラミッド型を描いて、日本社会は円盤型社会であり、諸君の母国および、世界中の国々はみなピラミッド型社会であると説いた。フランス革命の自由、平等、博愛、ロシア革命の理想も、わが国日本においては一滴の血も流さずに実現してしまったのである、と。
ちなみに私は60年安保世代である。岸内閣打倒を叫んで国会議事堂に突入した暴徒のひとりである。だが、急ぎいうが、岸信介こそ戦後最良の政治家であったといわねばならない。その理由は多々あるが、いま指摘したいことは、岸信介という政治家はつねに国民経済という理念と理想をいだきつづけてきた政治家であった、ということである。
若いころの岸信介は、北一輝の思想に共鳴していたという。北は昭和維新運動の唱導者のひとりであり、その思想を一言に要約すれば国家社会主義的ということになる。換言すれば、「国民経済」という概念を大事にし、そこに理念を託したのだといえる。国家こそが理想の棲(す)み家であるということだ。
経済は放置しておけばボーダーレスに流れるものだという本質をどう考えるか、そこが大事なポイントだ。市場原理主義者にとっては、国家も国境も国語さえも、非関税障壁なのである。経済学の鬼門は国家であり、国家学の鬼門は経済である。都市国家の消滅がそのことを能弁に物語っている。関税自主権を放棄すれば、国家はたちまちにして消滅する。そして覇権国家だけが生き残る。
岸信介が歴史に学んだことの一つがそれだった。そうでなければ、「国民の所得倍増計画」なぞという理想は胚胎しない。岸の孫にあたる安倍晋三氏に「じいさんのことを熟考し、それにならっていただきたい」と切に願わずにはいられない。
平成27年6月4日更新