今、文科省に何が起こっているのか

<特別寄稿>
今、文科省に何が起こっているのか
― 「つくる会」歴史教科書検定不合格事件を追う
― 検定再申請は是か非か

前会長・顧問(『新しい歴史教科書』前代表執筆者)杉原誠四郎

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はじめに
 さて、今回のつくる会歴史教科書検定不合格事件は、「新しい歴史教科書をつくる会」が検定申請した中学校歴史教科書『新しい歴史教科書』は、昨年12月25日に、文科省より405箇所の「欠陥箇所」を指摘されて、本年度の採択戦には間に合わないいわゆる「一発不合格」なる完全不合格の宣告を受けたことから始まる。「つくる会」ではこの事実をすでに本年2月21日に記者会見をして公表し、さらに抗議の意味を込めて、この不合格教科書を市販し、そのうえさらにどうしても納得のいかない「欠陥箇所」として指摘された100例を選んで反論をした『教科書抹殺』(飛鳥新社)という本を公刊している。「つくる会」は、不合格となったその『新しい歴史教科書』を、制度にのっとり、本年6月29日に、再検定申請に出した。
 この再申請については、再申請の決意を表明した6月3日の会員宛通信『FAX通信』で示された声明で述べてあるように、「いまさら文科省に屈服して検定意見に従うなどとは納得できない」とか、再申請をすれば「教科書検定制度の改革が吹っ飛んでしまうのではないか」として、賛成できないでいる人は大勢いると見てよいだろう。本年4月28日の『産経新聞』にて「文科省教科書検定に異議あり!」なる意見広告は反響を呼んだが、この意見広告に名を連ねた1392人の支援者の中にも、検定を再申請すると思っていた人はほとんどいないであろう。この再申請の方針に納得できないでいる人は必ずやかなりいる。
 私、杉原は令和2年の本年度も使われている『新しい歴史教科書』現行版の代表執筆者を務めたが、その立場も踏まえて、この検定再申請の意義、得失について、何が言えるのか、述べいくことにする。


今回のつくる会歴史教科書検定不合格事件は文科省150年の最大の危機を示す事件である
 言うまでもなく、本件はある民間の教科書会社の教科書が、あまりに誤りが多くてそのために検定不合格になってしまったとか、その教科書会社が教科書をどうしても発行したいので再検定申請することにした、というような程度の単純な問題ではない。日本の歴史教育を刷新しなければならないとして平成9年に立ち上がった「つくる会」の制作した歴史教科書が、明らかに一定の政治的意図をもって不合格となった事件である。そこに、戦後の教科書制度の問題、そして現在の文科省自体の問題として現れてきており、ある意味で、文科省にあって戦後最大の教育事件である。否、明治4年江藤新平初代文部大輔の下で発足した文部省はそれから約150年、最大の危機に陥っていると言え、本件はそのことを端的に示している事件だと言えるのだ。
 いったい文科省に何が起きているのか。その観点で見なければ、本件の問題を正しく把握したことにはならないのだ。

再申請に納得できない立場から見て
 まず、6月3日「つくる会」の声明で表明した検定再申請をするという決意について、納得がいかないという人の立場から考えてみよう。この声明では、再申請して検定合格することと、「一発不合格」なる「不正検定」を追及することとは両立することだと言っているのであるけれども、そう言ってみても、にわかには納得できないと思う人は大勢いる。再申請する場合の書き換えの例として示している仁徳天皇の例の説明を聞くと、かえって納得できなくなる人もかなり出るであろう。「仁徳天皇 古墳に祀られている」という元の記述に対し、文科省の調査官は「生徒が誤解するおそれのある表現である」として「葬られている」とすべきだとした。それでそれを「欠陥箇所」に指定したのだが、これを「つくる会」側は激しく抗議していたのにもかかわらず、再申請するときには「仁徳天皇 世界一の古墳で知られる」と書くことにすると言っている。そうすることによって「検定意見」が付かないようにすると述べているのだ。そのことによって検定に屈したことにはならないと言っているのだ。
 しかしこれは、つくる会側の指摘した批判を主張せず、批判することを避けたのには違いない。そのため文科省の「不正検定」に屈したことになると見る見方には、確かに頷かざるをえないところがあると言わなければならない。

再申請をすればどうなるか
 さりながら、だからといって、再申請をしないとどういうことになるか。
 6月4日、参議院文教科学委員会で、維新の会の松沢成文議員が萩生田光一文科大臣に問い質したとき、文科大臣は検定を精査したけれども問題はなかったと答弁した。「つくる会」のホームページに出ていて誰でも容易に見れる公開質問であるが、5月24日付で「つくる会」から文科大臣宛に出した公開質問に対して6月11日付で文科大臣から回答でがきた。その回答でも文科大臣は同じことを言っている。
 これだけ不正が明白にしてなおかつ多数の事例の「不正検定」を前にして、大臣が問題はなかったと答えたとすれば、これを正すには、行政裁判を起こし、裁判で是非を問う以外にない。だが、裁判の道は遠く、膨大な資金とエネルギーが必要である。それに時間もかかり、もし一審で変な判決が出れば、それを高裁に控訴しなければならなくなり、時間は限りなくかかり現実的でないと言わなければならない。
 だが、行政裁判を起こさないと断言してはならない。これからの文科省とのやり取りの結果次第では、断固として行政裁判を起こさなければならないことがありうる。裁判に訴えることは決して断念してはならず、そのことを前提にこれから戦わざるをえないことは必定だ。
 今回の検定不合格で405箇所の「欠陥箇所」の指摘を受けたが、この歴史教科書の場合、頁数の関係から、もし313箇所以下の数の「欠陥箇所」の指摘であれば、協議しなからの修正で所定の年度内の検定合格が可能である。そして314箇所を超えて376箇所までの数の「欠陥箇所」の数であれば、教科書を作り直して再申請しなければならないが、やはり所定の年度内の検定合格は可能である。そして377箇所以上になると、翌年度6月の再検定申請となり、したがって年度内の検定合格の可能性はなくなり、令和2年度の採択戦には参加できない。その意味で完全不合格なる「一発不合格」となる。本件のつくる会歴史教科書は405箇所の「欠陥箇所」の指摘となっていたのだから、年度内検定合格の可能性のある376箇所を29箇所多く、そのため完全不合格となったことが分かる。
この間の関係については、大切なことなので正しく理解してほしいのだが、この教科書の藤岡信勝代表執筆者が『正論』7月号の「正論編集部の「つくる会」批判に反論する」で明快に説明しているように、「一発不合格」となった場合は、問題あるとするところを「欠陥箇所」として通告してくるだけで、その「欠陥箇所」の指摘の適否について調査官と協議することはいっさいできないのだ。
ただ、「欠陥箇所」の指摘に不服がある場合、「反論書」を提出して反論し意見を提出することはできる。だが、その反論を認めるか認めないかは検定側が一方的に決定し、その結果を再び通告するだけで、その適否について調査官と協議することはいっさいできないのだ。事実、この教科書の場合では、昨年11月15日に405箇所の「欠陥箇所」の指定を受けて、11月25日の時点で175箇所について反論を書いて「反論書」を提出した。が、検定側はその反論について1箇所も認めず、12月25日、405箇所の「欠陥箇所」は、年度内に修正して検定合格可能となる場合の問題箇所の数の上限376箇所を29箇所超えるとして、年度内の検定合格の可能性のないいわゆる「一発不合格」を通告したのである。その間、制度上、協議はありえなかったのだ。
 このような経緯のもと、完全不合格、つまり「一発不合格」となった教科書について、制度上認められている本年度6月30日までに検定再申請をするとすれば、もう1度検定合格の可能性が出てくるのである。
再検定申請は容易にできる。405箇所の「欠陥箇所」の指定の中には、「つくる会」側も当然修正すべきだとして受け入れることのできる「欠陥箇所」の指定もあるわけだから、上記の通常の検定過程に戻ることのできる最低92箇所の数を若干上回る数の「欠陥箇所」の修正は、しようとすれば極めて容易である。その他の「欠陥箇所」は、たとえ「欠陥箇所」として指定されていても修正をしないままに再検定申請しても、もはや直ちに完全不合格、つまり「一発不合格」にすることはできない。
ということは、理屈の上で、『教科書抹殺』で提示した100例は何ら修正をしないでそのままにして再申請をしても、つまり理屈の上で、我々の本来の主張はいっさい曲げないで再検定申請をしたとしても、もはや直ちに完全不合格にすることはない。検定合格の可能性が残り、修正しなかった「欠陥箇所」は協議の可能な通常の「検定意見」に変わっており、調査官とその当否を激しくやり取りできるのである。
 「つくる会」としては可能な限り修正を施して再申請していると思われるが、要するに、理屈の上では『教科書抹殺』で示した100箇所については、我々は納得いかないとして全く修正せずそのままで再申請をしてもかまわないのだ。まさに理屈の上で100箇所の「欠陥箇所」は協議可能となって、その適否を厳しく問い質すことができることになるのだ。
 しかも問い質すにはさらに好条件ができている。今回は検定合格した他社の教科書の記述をすべて見ることができる状況が出てきている。他社の教科書で、「つくる会」の教科書と事実上同じ記述をしていて検定意見が付いていない箇所を調べておけば、それを使って今回の「欠陥箇所」として指定されたところの不当性を主張でき、理屈の上で「欠陥箇所」の指定の取り消しを求めることができる。さらには他社の教科書で当然検定意見が付されるべきと思われるところで検定意見が付いていないところを調べ上げておけば、それも持ち出して、今回の「欠陥箇所」の指定がいかに恣意的であったかを主張でき、調査官を追い詰めることができるのだ。

教科書検定に「学術的審議」はありえない
 ところで、この「欠陥箇所」ないし「検定意見」をめぐり、極めて気をつけなければならないことがある。
 上記6月11日付文科大臣回答でも出てくるが、この回答で「欠陥箇所」の根拠として「教科用図書検定調査審議会の学術的・専門的な審議の結果」と述べたところがある。
審議委員が公正な審議能力を持っているのかはそれ自体、問わなければならないのであるが、このように偏向した審議委員の下で、「学術的審議」を「欠陥箇所」の根拠にしてよいのであれば、いかなる「欠陥箇所」のしてきをも「学術的審議」を根拠にして正当化することができるようになる。
 事実、このつくる会歴史教科書検定不合格事件では、そのことが絵を見るごとく見事に現れている。「欠陥箇所」の指定には理由が必要であるが、その理由にはいくつかの種類があり、その中には誤字や脱字もある。しかし誤字や脱字は「学術的審議」には全く関係しない。関係する多くの場合は「生徒が誤解するおそれのある表現である」と「生徒にとって理解し難い表現である」という2つの理由の指摘である。この2つの理由による「欠陥箇所」の指定は極めて主観的なものになるが、そのように見ると本件不合格事件では、この2つの理由に基づく「欠陥箇所」の指定が72パーセントを超えているのである。見ればすぐに分かるように極めて調査官の主観に基づく「欠陥箇所」の指定であり、調査官はこの主観的な「欠陥箇所」の指定を「学術的・専門的な審議」に根拠を置いて正当化しているのである。
 「学術的・専門的な審議」は、文科省は平成29年2月、中学校学習指導要領の改訂で、「聖徳太子」の呼称を「厩戸王」という呼称に変更しようと提案してきた時にも密接に関係していた。この際も文科省は歴史学界の学術的成果を根拠にしていたが、いかにも愚かな提案であったことか。
歴史教育、歴史教科書というものは、明確炳然、学界の動向を直ちに反映すべきものではない。たとえ、正しい歴史学説が出てきたとしても、歴史教育としてそれを反映させるためには、国民の間で広く認知され、その認知の下で、さらに自国を愛する等、教育的配慮を施した上で反映させるべきものである。歴史教育は歴史教育ゆえに、歴史学界のささいな動向によって直ちに変更するというようなことはあってはならないのである。
もしそのようなことを認めるならば、学説はいかようなものでもありうるのだから、「検定意見」はいかようにも付すことができるようになる。それどころか、学界には錯綜する多様な学説が同時に存在するのが常態であるから、その中の1つを取り出して教科書に記述を求めれば、歴史教育、歴史教科書がどの学説を公認の学 説にすべきかを決定することになる。
歴史教育における「学術」の問題は重要なので、もう少し詳細に述べておく。まず、昭和12年のいわゆる「南京事件」に関する学界の実態について紹介しておきたい。今日「南京事件」の研究は進み、当時の日本軍は南京の一般市民を組織的、計画的にかつ大量に虐殺していないことはほぼ完全に証明されている。敗残兵の殺害はあるのであるが、しかし敗残兵は正規の捕虜ではなく、殺害も理由なくしての殺害ではなく、当時の国際法に反する不法殺害ではなかったことがほぼ完全に証明されている。しかしそれでも「南京事件」の研究者の中にはいまだ10万人単位で無差別殺害、つまり虐殺が行われたと主張する研究者がいる。そこで「南京事件」は存在しなかったと主張する側の研究者が虐殺があったと主張する側の研究者に公開討論を呼びかけても、虐殺があったとする側の研究者はそれを受けようとしない。何度呼びかけてもそうなのだ。
 学界とはもともとこのような実態にあるものである。このような実態があるのに教科書の記述をめぐって「学術」を根拠にできるのか。
 「学術」と「歴史教育」は違うのだということは、過去に重要な実例を見出すことができる。戦前、著名な歴史学者である津田左右吉は神代史の研究によって、神武天皇から仲哀天皇までの記述は史実ではないと主張し、世間の注目するところとなった。しかしながら、戦後になってからは日本国民が皇室を建国以来敬ってきた事実は否定しがたいとして、日本にあっては皇室を愛するところにこそ民主主義の徹底した姿があると主張した。そして研究上の自説を教科書に書くべきだとはいささかも主張しなかった。歴史上の史実そのものは歴史教育にあっても確かめられなければならないのであるが、しかし学説と歴史教育はもともと別のものなのである。
 賢者は歴史に学ぶと言うが、津田の示した教訓は歴史の教訓として鉄のごとく守らなければならないのだ。
つまりは「学術」こそは、国家を崩壊させ社会を破壊するところの左翼が文科省に入り込むための隠れ蓑だったのだ。文科省は、「学術」と「歴史教育」の違いを把握していなかったことにおいてポカを犯していたと言わざるをえない。
 文科省にあって、歴史教科書検定に関わる「教科用図書検定調査審議会の学術的・専門的な審議の結果」なる文言は検定の根拠には絶対にしてはならないのだ。

「つくる会」で準備しておくべきこと
 それで「つくる会」側で、再検定申請に関わって準備をしなければならない重要なことがある。「欠陥箇所」として指定された「つくる会」歴史教科書の表記と類似の表記で検定意見を付されていない他の教科書の事例を徹底的に洗い出しておかなければならない。例えば、今回の「欠陥箇所」で、教科書であるので要約してその上で引用の「 」を付したところが「欠陥箇所」として指摘されたが、もし、他社の教科書で「 」を付したところに検定意見を付いていない例が見つかれば、「つくる会」の教科書のみ「欠陥箇所」として指定したことになるから、それは誰でも分かる「不正検定」の実例となる。当然我々の教科書での「欠陥箇所」として指定は撤回しなければならなくなるだろう。
 すでに典型的な例がいくつか見つかっている。その1つを例示すると代表執筆者の藤岡信勝氏が『産経新聞』7月1日で明らかにしているのだが、「つくる会」の教科書では、1930年のロンドン軍縮会議に関して「英米日の補助艦の比率が10:10:7に定められ」と記してたところ、7は6.975と書くべきで「不正確である」として「欠陥箇所」に指定した。しかし日本文教出版の教科書では「補助艦(主力艦以外)の保有国の割合を米10、英10、日7と定めた」と書いていて、そこでは「欠陥箇所」として指定していないのだ。中学校の歴史教科書で、日本の比を6.975とまで詳細に教えなければならないとすることにも大いに疑問となるが、他の教科書で認めている大枠の数字を、「つくる会」の教科書にだけ認めないというのは、やはり「不正検定」の明確な証拠となる。
 そうした箇所がもし29箇所以上見つかり、「欠陥箇所」の指定を撤回しなければならなくなれば、まさに「つくる会」の教科書は「一発不合格」にするために不当に「欠陥箇所」の数を増やして指定したことになる。調査官は必死になって撤回する必要のない理由を探すであろうが、それは国民の目には極めて明白な「不正検定」の証拠として映るであろう。
さらには、3月25日の『産経新聞』ですでに明らかになっているが、他社の教科書で沖縄戦に関係して「沖縄を「捨て石」にする作戦だった」という偏った自虐的な記述があるようだ。当然「生徒が誤解するおそれのある表現である」か、または「生徒にとって理解し難い表現である」という検定意見は付されるべきものであるが、このように検定意見を付すべくして付さなかった例を徹底的に洗い出し、その全てを国民の前にはっきりと提示すれば、現在の文科省の教科書検定なるものはいかに歪んだものになっているか、国民のだれもが分かるようになるであろう。
実際に出版するかしないかはともかく、こうした事例を『教科書抹殺』の付録のような位置づけで整理して、それを資料集として公開して誰でも容易に見れるようにしておかなければならない。それが「つくる会」の任務である。
 整理されたその資料はこれからの戦いにおいて決定的な武器となることは自明である。文科省内では、再申請すると再検定途次の情報は直ちに公開することはできず、厳格な守秘義務が生じるが、しかしその資料を使って、調査官に向けて、昨年「欠陥箇所」として指摘したところを徹底的に糾弾することができる。文科省外にあっては公開の場であるとして、同じ資料を使って、昨年12月25日に通告してきた「一発不合格」の「欠陥箇所」の指摘に対して糾弾することができる。
この調査資料は、それほど重要な武器となるものだから、「つくる会」としては、真剣にして完璧な調査資料を作成しなければならない。

文科大臣は職責を果たしているか
 ところで、6月4日の参議院文教科学委員会での松沢成文議員の質問に答えて、また上記6月11日付「つくる会」宛回答でも、萩生田文科大臣は、今回の検定について精査したけれども不正は行われていないことを確認したと答弁をした。ということは『教科書抹殺』でも取り上げられている「令和」の年号が未定であるため「■■」としたことに「欠陥箇所」として指定したことについても問題ないとしたことになる。
 平成27年4月、前回の検定、つまり現在使用中の『新しい歴史教科書』の検定に関し、教科用図書検定調査審議会の歴史小委員会の委員長を務めた上山和雄氏は「学び舎」の教科書が学習指導要領の枠に沿っていないとはっきり証言しながら、にもかかわらず検定合格させたと、同年4月24日の『朝日新聞』で述べた。要するに、「学び舎」の教科書を、検定基準に合わず検定合格させることはできないのに、検定合格させたということを言ったことになるのである。
 今回の「つくる会」の歴史教科書を不合格にしたこの事件では、現時点ですでに、上記「令和」を「■■」としたことを「欠陥箇所」として指定している例があるとか、あるいは「つくる会」の教科書では「欠陥箇所」として指定しているのに他の教科書では同じ記述でありながら「検定意見」が付いていない例がはっきりと見つかっているのに、萩生田文科大臣はそれでも不正はなかったと言ったことになる。とすれば、萩生田文科大臣は、文科大臣としての職責を果たしたことにはならなくなる。
 上記のとおり、引用文の要約を「 」を付したことに「欠陥箇所」として指摘したのだが、それは前回はしなかったことで、しかも、前回の私が代表執筆者を務めた際の検定では、そうした同一同種の「欠陥箇所」はまとめて1つの「欠陥箇所」として指摘したのであるが、今回は出てくる度ごとに指摘している。明らかに意図を持って「欠陥箇所」の数の増加を図ったのである。
 つまりは文科省は前回の検定では、合格させることのできない「学び舎」の教科書を検定合格させ、今回は合格させなければならない「つくる会」の教科書を検定不合格にしたのである。
 また、萩生田文科大臣の周辺では、こんな深刻な問題も発生している。文科省丸山洋司初等中等教育局長は「11月5日の検定結果申し渡しの日に、『問題の40箇所を直せば年度内に再修正をさせてやる』と持ちかけたが、執筆者側は頑なにこれを拒否したから、不合格になった」という趣旨のことを、文科大臣及び問い合わせの国会議員に語ったという噂があるのである。
 ここで問題の「40箇所」というのは、私が代表執筆者を務めた現在使用中の現行版に関する平成26年度の検定で検定意見を受け入れて修正をしたにもかかわらず、再び元の表記に戻して検定申請をしてきたというものである。これは問題だと思う人がいるかもしれないが、元の表記がやはり良いと思うときには、たとえ過去に検定意見を受け入れて修正したとしても、元の表記で検定申請を受けようとすることは検定にあっては、ほんらい何ら問題ではないのである。
 これは検定の側からも言える。過去に検定合格した版と同じ記述があって過去の検定では問題として何も指摘していなくても、問題にすべきだと新たに判断すれば、過去には問題として問わなかったとしても新たに問題にすることはできるのであり、事実、検定側にあっては頻繁にそんな事例が出てきているのである。我々もそのことで抗議したことはない。
 さて、それで文科省丸山初中局長の上記の噂の発言であるが、まず、この発言の内容は実際にあったかどうかということである。制度的に見て、このような取引のごとき調査官の発言はまずありえない。双方ともその通告の際には録音を取っているはずであるから、この発言の存否は直ちに分かるはずである。
検定手続きとしては全く存在していないこのような発言を調査官として発言するはずはない。たとえ実際に発言したとしてもそれはそれ自体で無効の発言である。
にもかかわらずそのような取引のような発言があったと初中局長が話したとすれば、それは大変な問題である。ある教科書の生き死に関することで嘘の説明をして文科省のなした不当な行為を正当化をしたということになる。そうすれば、これに関わった者は国家公務員法上の犯罪を犯したことになる。言わば、検察官が嘘の証拠を捏造して無罪の人を有罪にしたのに匹敵する。
 実は、初中局長がこのような説明をしていたというのは噂ではなく、実際にしていたのである。このことについては「つくる会」の方で確認できている。3月25日に「つくる会」は文科省内で記者会見を開いたが、その終わった後で、その記者会見に出席した「つくる会」の諸橋茂一理事が丸山初中局長と省内で単独で会ったのである。その際に、丸山初中局長は上記40項目を取り上げて、これを修正すれば、年度内に合格の可能性のある通常の条件付き不合格にしてやると言ったのに、どうしてか「つくる会」がそれを拒んだ、と語ったのである。
 つまり、このことによって、調査官はありもしない嘘の報告を局長にし、丸山局長はこれを受けて、今回に検定不合格事件について問い合わせる国会議員等に説明したのである。
明らかに調査官の作った嘘であり、調査官はそのような犯罪を犯して「一発不合格」の言い訳を省内で行っていたのだ。これは公務員として犯罪である。
 「つくる会」は省内で嘘の報告があったことにつき、これを問題にするため、法的準備に取りかかるべきである。

再申請で優先すべき目的
 要するに、今回の「つくる会」の検定再申請は、再申請して検定合格することを唯一の目的とした再申請ではなく、再申請をして、「一発不合格」の「不正検定」を正すためにする再申請だということだ。政治的意図を持ってなされた「一発不合格」の「不正検定」を正すことが不可欠な目的の1つなのだ。そのことの方が検定合格して無事教科書ができるよりも、より大切な目的なのだとさえ言える。
 再申請を申し出た以上、検定合格するため、大いに妥協を図っているであろうが、どうしても納得できないところは、「欠陥箇所」として指摘されたままの記述で申請しているはずだ。だから、論理上、不合格を覚悟した再申請と言うよりほかはない。

教科書の検定制度と採択制度の改革
 さらに言えば、上記の6月3日の「つくる会」の声明では、「逆に文科省を追い詰め、検定制度を改革する千載一遇のチャンスでもあります」と述べているが、この再申請の目的は検定制度改革だけのそんな狭いものではない。
 とりあえず検定制度の改革の千載一遇のチャンスと言える点に限ってみても、今回の「つくる会」の歴史教科書検定不合格事件は、調査官だけの単独犯ではなく、教科用図書検定調査審議会の審議委員との共謀事件であることを押さえておかなければならない。前述のとおり、平成26年度まで審議会委員を務めた上山和雄氏は政治的意図を持って、合格できない「学び舎」の教科書を合格させたのだ。歴史教育に対して、審議委員が中立公正であれば、調査官のこの暴走は十分に防ぎえたはずであるにもかかわらず、このような不祥事の事件が起きたのは、それは審議会委員も共謀していたからである。前述のとおり、歴史教育としてはありえない「学術的審議」ということを根拠にして審議委員は調査官の「欠陥箇所」の指定を可として承認したのである。教科書検定制度は完全に腐っているのだ。
 麗澤大学大学院特任教授高橋史朗氏が『世界日報』令和2年5月18日で述べていることだが、平成29年に改訂された中学校学習指導要領では、歴史教育に関してこれまで第1に掲げられていた「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という目標が最初に来なくなり、歴史教育のこの本来の神聖なる目標が軽視ないし矮小化されてきているのである。この改訂に先立って、平成28年12月の文科省中央教育審議会では「歴史用語を整理すること」と答申したが、これをリードしたのは中教審委員で、「高大連携歴史教育研究会」会長の油井大三郎氏である。同研究会の提言した「歴史用語の精選」案では、吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作が削除の対象とされ、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」等、日本軍の加害性を強調する用語が重視された。歴史教育は、カリキュラム、学習指導要領からして腐り始めているのである。
平成29年には、「面従腹背」で有名になった前川喜平氏が文科省の事務次官をしていたのだ。中教審や教科用図書検定調査審議会の委員に偏った人が集められていたと言ってよいのではないか。彼らの手によって、文科省が腐るように導かれていったのではないか。
現在、文部科学省の検定はそれに関わる審議委員、調査官がすでに一体と化し腐敗した自虐史観の塊になっている。今回の事件ではそこまで、つまり審議会の委員の人事の刷新までしなければならないほどまでに、腐敗が進んでいるのだ。
 6月4日の参議院文教科学委員会での松沢議員の発言に審議会の議事録を発言者の氏名も分かる形で公開するよう要請した。このような「不正検定」について、誰がどのように発言し進めていったのか、いっさい判明しないところで行われるというのは、まさに「伏魔殿」である。誰がどのような発言をしてこのようなことが決まったのか全く分からないところで、1つの教科書の生き死にを制する結論が出るのだから、問題はいかに大きいか。この腐敗しきった委員や調査官の伏魔殿になっているところに光を当て、検定制度全体の改革、刷新が必要である。
が、今回の再申請は教科書をめぐる検定制度の改革のためだけの千載一遇のチャンスではない。長らく放置され、全く工夫のなされてこなかった教科書の採択制度を整備し改革するためにも千載一隅のチャンスでもあると自覚しその認識を広めなければならないのだ。
ほんらい良い教科書が採択されるような採択制度が整備されれば、良い教科書が採択されるようになり、そうすれば良い教科書がつくられるようになるのは必定のことだ。にもかかわらず、いつまでも問題となる教科書がつくられ続けるのは、問題視すべき良くない教科書が採択されるからである。良い教科書ができないのは、採択制度が全く整備されず、良くない教科書しか採択されない未整備な制度のままになっているからである。
「つくる会」の会長も務め、『新しい歴史教科書』現行版の代表執筆者を務めた立場で思うのであるが、教科書改善に関心があり、「つくる会」を熱心に支えている人でも検定制度の改善までは視野に入れるのだが、採択制度の整備にまでは注意が向かないのだ。このことは何と残念なことであろうか。教科書改善運動に取り組んでいる人たちが気が付かない積年の弱点と言うよりほかはない。
 本年6月には全国各地で、コロナ禍の中でも教科書展示会が開かれ、一般の人がそこでパラパラと教科書を見比べて採択に関わる意見を教育委員会に提出した。だが、このITの発達した時代に、何ゆえに教科書は教科書会社によってPDF化して公開している状態になっていないのか。そうすれば、家にいてもっと精密に見比べてより賢明な意見を提出することができるではないか。
 それにすべての教科書をPDF化して公開した状況にしてあれば、偏向した記述は、一般の人の目にも容易に触れることになり、そこからも批判が起こり、教科書会社の偏向した記述はそれだけいっそうしにくくなる。
平成28年の検定制度の改定で今回の「一発不合格」の制度が誕生したのであるが、この改訂によって、このように年度が遅れて検定合格した教科書には市町村委員会等が1年遅れて採択替えすることができるようにしたようだ。だがもともと、採択期間4年は採択替えをしてはならないという現在の採択制度には合理的な理由がどこにあるのか。いったん採択した教科書でも、問題となる偏向した記述が見つかれば、その時点で採択替えできる制度にした方がよほど合理的ではないか。それだけでも、偏向した記述の排除には、大きく効果するではないか。
 また、鹿児島市では西郷隆盛のことが載った教科書をほんらい採択するつもりいたが、共同採択地区に小さな村がいくつかあって、共同採択地区の村の意向で西郷隆盛の載っていない教科書を採択しなければならなかった。こういう馬鹿げたことが現在の共同採択地区制度で起こっているのである。
 このような共同採択地区の制度をどうして維持しなければならないのか。この制度は昭和31年、現行の教育委員会のできたときの制度であり、このときには全国の市町村は現在の3倍以上の数であった。小さな町村では教科書採択のために必要な調査をすることが困難なので、いくつかの市町村が一緒になって共同採択地区を作って共同で調査し、共同で採択しようという制度であるが、当時はある程度必要な制度であった。だが今日では必要な根拠は全くなくなっている。共同で調査をするというところまでは何とか意味があるとしても、その調査結果に基づいてどの教科書を採択するかは、再び個々の教育委員会の権限に戻し、個々の教育委員会で独自に判断して決めるべきではないか。
 また、鹿児島市が西郷隆盛の載った教科書を採択したいのであれば、そのことを採択の方針として予め明らかにしておればよいではないか。そうすれば鹿児島市で採択して欲しいと思う教科書会社は西郷隆盛の載った教科書をつくるであろう。教科書はほんらい採択権者が採択したいと思う良い教科書を採択の方針として予め明示しておけば、それに合わせて教科書会社が良い教科書をつくるはずである。採択する側はなぜそこまで真剣にならないのか。
 教科書制度全体から見た検定制度と採択制度の関係は、良い教科書が作られ良い教科書が採択されるように、教科書会社と採択権者が、荷車の2つの輪のようになって輻湊するようになっていなければならない。しかるに教科書の採択制度は昭和31年以降、全く未整備なままにきており、現行の教育委員会が発足して以来、全く改善がなされていないのである。
 教科書検定制度への信頼が今回の歴史教科書検定不合格事件によって大いに揺らぐに至った今日、教育政策立案者は教科書採択制度の改善の重要性についてはっきりと認めなければならない。
 今回の「一発不合格」を経ての検定再申請は採択制度の整備の重要さについて気づき、採択制度を整備していくための千載一遇のチャンスであるとも考えなければならない。

支援団体及び国民からの応援
 今回の歴史教科書検定不合格事件について「つくる会」副会長の皿木喜久氏が友好団体「日本会議」の機関誌『日本の息吹』令和2年6月号で「今、教科書に何が起こっているのか」と題して本件の問題提起の記事を載せている。 
 日本会議といえば、「つくる会」とほんらい友好関係のある助け合わなければならない関係にある運動団体である。だが、平成23年に私が代表執筆者を務めて検定合格した『新しい公民教科書』につき、その年の採択戦の中で、この教科書をめぐる日本会議の評価について私は不満に思うところがあり、その不満を、改善を求めて日本会議の本部に行って伝えればよいのに、公開の場で、不満を述べてしまった。当時は私も運動に関わって経験が浅く、してはならないことをしてしまった。それで「つくる会」と日本会議は距離ができてしまった。しかるに今回日本会議の機関誌で、「つくる会」副会長がこの事件の報告をしたということは、極めて喜ばしいことであり、感謝したいと思っている。
 何でこのようなことを言うかといえば、今回のこの歴史教科書検定不合格事件は、平成8年の「従軍慰安婦」が全ての中学校歴史科書に載った事件よりはるかに深刻な問題であるからである。文科省自身が腐り始めている状態になっており、戦後の日本の教育で、否、明治以来の日本の教育で、最大の危機に陥っていると言っても過言ではない。したがって、友好団体で具体的に言えば、国家基本問題研究所も応援に立ち上がって欲しいし、そして日本の健全さの維持に心を砕いている全ての団体及び国民に応援をして欲しい。でなければこの問題は克服できないであろうと、私は思う。
 また、自民党にあっては、今も存在しているが「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(教科書議連)も新たに組織を懸けて頑張って欲しい。そのことが「従軍慰安婦」問題で「つくる会」と同じ平成9年に誕生した教科書議連の使命だと思う。そして、当時この会の事務局長を務め、現在は自民党の総裁と内閣総理大臣を務めている安倍晋三氏が心底から願っていることだと思う。問題は必ずや1内閣が全力を尽くして取り組まなければならない問題である。
 本論で述べたように、今、文科省は、教科書を中心として全体が完全に腐り始めているのである。政治家たる者、運動家たる者、日本を良くしていこうと思っている者としては、絶対に第三者になって傍観するようなことをしてはならないのである。