令和2年(2020年)10月9日
新しい歴史教科書をつくる会
(1)なぜ勝岡寬次論文を取り上げるのか
歴史認識問題研究会の機関誌『歴史認識問題研究』第7号(令和2年9月18日発行)の巻頭に、同会事務局長・勝岡寛次氏の「自由社教科書不合格問題と欠陥箇所の『二重申請』問題」と題する論文が掲載された。この論文は、令和元年度の文科省による教科書検定で、つくる会が推進する自由社の『新しい歴史教科書』が「一発不合格」になった問題を取り上げ、次のように結論づけた。即ち、文科省は自由社を不合格にしようとする悪意などなく、ただ淡々と検定作業を行った結果、自由社の歴史教科書には誤字脱字を含む多くの誤りがあり、あまりに杜撰な作り方をしたために不合格となったのであって、文科省による「不正検定」はなかった、と。
言うまでもなく、勝岡氏が自由社に対する不正検定問題についてどのような立場から、どのような議論を展開しようと、それは氏の言論の自由である。しかし、勝岡論文の問題設定はつくる会の主張に対する事実誤認に基づくものであり、議論の根幹をなす中心命題の検証を完全に怠り、用語法も検定結果の解釈も文科官僚の言い分を全面的に追認した上で、「不正検定」はなかったという論理的に間違った結論を出している。
つくる会の側では、現行版歴史教科書の代表執筆者・杉原誠四郎と「一発不合格」となった申請本歴史教科書の代表執筆者・藤岡信勝の連名で『歴史認識問題研究』に反論論文を投稿することを予定している。しかし、『歴史認識問題研究』は年二回の刊行であり次号の発行は半年後となる。勝岡論文は掲載した機関誌がすでに配付されているだけでなく、インターネットでも公開されており、このまま放置すれば勝岡論文の間違った結論が独り歩きして広がり定着しかねない状況にある。これは、つくる会運動のみならず、現在および将来の日本の教科書改善運動にとって致命的な事態となるおそれがある。
以上の事情から、ここに勝岡論文についてのつくる会の見解を公表することとした次第である。各位におかれては、双方の主張を冷静に読み比べていただき、的確な判断をして下さることをお願いする。
(2)中心命題の検証を放棄
勝岡論文の致命的欠陥は、論文の核心をなす中心命題、すなわち、「文科省による『不正検定』があった」とする、つくる会が提起した命題の当否を検証する作業を一切行っていないことである。勝岡氏は、論文の冒頭で「文科省の『不正検定』を糾弾する最近のつくる会の主張には、大いに違和感を覚えている」とし、「そうした疑問点の幾つかについて、客観的な事実の裏付けが果たしてあるのかどうかを検証したものである」と述べて論文の主題を明示しているにもかかわらず、である。
つくる会はすでに「客観的な事実」として、100件に限定して「不正検定」の事例をあげ、『教科書抹殺-文科省は「つくる会」をこうして狙い撃ちした』(飛鳥新社、令和2年5月6日発行)を発表している。(さらに、6月から各地で開催された採択用の教科書展示会で他社の検定合格教科書との比較が可能となった結果、検定で「欠陥箇所」とされた自由社の記述と同じ記述が、他社では何の検定意見も付かず合格している事例が、つくる会の会員による調査でいくつも発見されている。)
これらが「不正検定」の「裏付け」として不十分であると思うのは勝岡氏の自由であるが、そうであれば、勝岡氏がまず第一に取り組まなければならないことは、この本の挙げる100件の事例が正しいのか間違っているのかを個別に検証することである。1件でも不正な検定があれば文科省の検定は「不正検定」だったことになるが、「一発不合格」処分を回避できたかどうかを基準にするなら、29件の不正があったかどうかを検証すればよい。勝岡氏の判定はどうなのか。そう期待して先を読み進むと、驚くべきことに、論文の最後に至るまでその作業は一切行われていないのである。
(3)事実誤認に基づく無意味な問題設定
文科省は「不正検定」の抗議を受けて、「自由社は他社と比べ不正確な記述が多い上、前回と同じ誤りを指摘されるケースが約40件あった。・・・そうした部分をなくすだけでも不合格にはならなかった」(産経新聞3月25日付)とコメントした。勝岡論文は、文科省がこのように指摘しているのだから、「まずはその真偽を問題にしなければならない筈である。ところが、つくる会の側ではこれを『デマ』だと言い張るばかりで、・・・文科省の主張が正しいかどうかを客観的に検証しようとする姿勢が、残念ながら見受けられない」と書いている。
これは完全な事実誤認である。つくる会は産経新聞の記事が出た直後に調査をし、40件弱の該当箇所を確認している。また、「そうした部分をなくすだけでも不合格にはならなかった」というのも、それ自体は自明のことで、そんなことをつくる会がデマだなどと言ったことはない。つくる会が「デマ」だと言ったのは、以下に述べる通り、それとは全く別のことである。
文科省の丸山洋司初等中等教育局長(当時)は、令和元年11月5日の検定結果申し渡しの日に、問題の40箇所を直せば年度内に再申請出来るようにしてやると文科省側から取引を持ちかけたが、執筆者側は頑なにこれを拒否したから不合格になった、という趣旨のことを国会議員などに語っていたことが確認されている。そのような取引を自由社が文科省側から持ちかけられた事実はないし、そもそも「一発不合格」処分には修正の機会や教科書調査官との協議の機会が与えられていないのだから、この説明自体が虚偽なのだ。
それなのに、雑誌『正論』編集部は、この種の文科官僚の説明を真に受けて、同誌6月号で「文科省批判と再検定要求の前に」と題するつくる会への批判論文を編集部名で書いた。そこで、つくる会側は同誌7月号に「教科書検定制度への誤解に基づく正論編集部の『つくる会』批判に反論する」(藤岡信勝執筆)という文章を書き、上記の初中局長に関わるエピソードを紹介した上で、「制度上、そのようなことは出来るはずもなく、事実としても、当然ながら文科省側からはそのような話は一切なかった。簡単にいえば、これは完全なデマである」と書いたのである。
勝岡論文は、つくる会が「約40箇所」の存在の指摘そのものを文科省の「デマ」だと主張しているかのように幾度も繰り返し、そういう箇所が本当に約40箇所あるのかどうかを検証するため、前回の平成26年度検定で「欠陥箇所」と指摘された358箇所と、今回の令和元年度検定で「欠陥箇所」と指摘された405箇所の全てを比較する。その結論として39件がそれに該当することが「判明」したとし、文科省側の言う「約40件」は正しい指摘であることが判ったと報告する。しかし、これは事実誤認による無意味な問題設定に基づく無益な作業である。
(4)点数の低い生徒は不正に落第させてよいか
勝岡論文が最も力を込めて取り組んでいるのは、自由社の申請本に単純なミスによる「欠陥箇所」が多いということの検証である。つくる会は、「生徒が理解し難い表現」「生徒が誤解するおそれのある表現」という検定基準(3-(3))による指摘箇所が405件中の291件(72%)を占めたことを指摘し、この検定基準の濫用が「不正検定」の主要な手段であったとしてきた。
これに対し勝岡論文は、同じ項目の比率が自由社よりも高い他社の例(東京書籍の81%など)を挙げ、つくる会の主張の反証としている。これは数字のトリックで、東京書籍の検定意見総数は21件に過ぎず、その中の81%といっても件数としては17件に過ぎない。比較するなら実数(291対17)を比較すべきで、比率を取るなら全ページ数に対する比率を比較すべきだ。
勝岡論文は誤植などの具体例をこれでもかこれでもかと挙げ、(勝岡説によれば)自由社の単純ミスは173件で、平均すると他社の10倍以上である、などの数字を繰り返す。そして、「自由社の編集体制が他社と比べて著しく杜撰である」、「『一発不合格』になったことを殊更に騒ぎ立てるよりも、自由社はむしろそのことを天下に対して恥じるべきではないか」とまで酷評する。
私たちは事実は事実として当然ながら認めるし、自由社の編集体制が巨大な教科書会社のように充実した体制でないことも否定しない。ただ、今回の自由社歴史教科書の「一発不合格」は、このミスの多さから生じたのではなく、あくまで私たちが指摘した、少なくとも100件の「不正検定」によって生じたものである。この100件の「不正検定」が無ければ、たとえ単純ミスが多数あろうと「一発不合格」にはならなかったのである。ここに今回の自由社検定不合格問題の核心がある。
私たちはその100件の具体例の証拠を挙げて「不正検定」を主張しているのに、勝岡氏は、最も肝心なその証拠の検証を一切しないままに、これほど酷いミスがあるのだから不合格にされても仕方がない、文科省は何も悪いことをしていないと強調しているが、それは結果として印象操作になっていると言わざるを得ない。これは非常に危険である。
例えば、ここにいつも試験の点数が低い生徒がいるとする。試験の合格の基準は60点で、それに達しない生徒は落第・留年とする制度である。劣等生Aは他の生徒が90点程度取っている試験で70点しか取れなかった。しかも生徒Aは教師に反抗的である。そこで、教師はさらに他の生徒よりも厳しい基準で採点し直して15点減点し、55点ということにして、生徒Aを落第・留年処分とした。
つくる会が直面したのは、こういう扱いである。こんなことを教育者として肯定できるのか。つくる会は、比喩的に言えば、確かに点数は低いかも知れないが、合格ラインに達していた生徒である。そして、水増しの「15点減点」の部分が「不正」だとして証拠を挙げて検証を求めてきたのである。勝岡氏がやっていることは、生徒Aの試験答案の間違いがいかに酷いものであるかを特筆大書し、読者に強く印象づけることである。それによって、不正に15点の減点を行った教師の行為は問題ではないとして目をつぶるように読者を誘導しているのである。
(5)三つの命題と三つの立場
以上の議論を総括してみよう。ここに、次の三つの命題(仮説)がある。
(A)欠陥箇所として指摘された中に、多くの(少なくとも100箇所の)「不正検定」があり、それらが無ければ自由社の歴史教科書が「一発不合格」になることはなかった。
(B)欠陥箇所として指摘された中に、多数(173箇所)の単純ミスがあり、それらが無ければ自由社の歴史教科書が「一発不合格」になることはなかった。
(C)欠陥箇所として指摘された中に、平成26年度の検定で検定意見がつき修正したのに、それをまた元に戻して申請した箇所が約40箇所あり、それらが無ければ自由社の歴史教科書が「一発不合格」になることは無かった。
(A)はつくる会が主張しているもので、検定結果に対する「反論書」(令和元年11月25日提出)では175件を主張し、さらに一般にわかりやすいことも考慮に入れて、100件に絞り『教科書抹殺』という前掲書にまとめてそれぞれのアイテムについて「不正検定」である理由を詳細に記述した。(B)と(C)はそれに対抗するために、文科官僚が盛んに吹聴したものである。
これら三つの命題はどれが正しく、どれが誤りなのだろうか。結論を言えば、(A)(B)(C)の三つの命題はいずれも成り立つ。成立条件は、どれも数が29件以上になることだけである。29件あれば「欠陥箇所」の数は「一発不合格」ラインを下回るからだ。
そこで、この三つの命題に対する、つくる会、文科省、勝岡氏、の三者の主張を整理してみよう。まず、つくる会は、(A)(B)(C)の全てが成立することを認めた上で、(A)が成立することで文科省による検定の「不正」があったと主張する。
文科省は、(B)(C)を主張し、(A)については、「手続きに不正はなかった」(萩生田文科大臣)という理由にならない理由を構え、検定意見の不当性についての判断を一切回避し、問題を手続きにスリ変えた上で否定する。勝岡氏は、この論文で(C)は39件であること、(B)は173件であることを論証した。しかし、肝心の(A)については何ら取り上げない。この点で、文科省と勝岡氏の立場はピッタリと重なるのである。勝岡論文は、文科省の主張に数字とデータの補足をしただけのことである。
以上の総括で明らかなように、命題(B)(C)には三者間で見解の違いはない。だから本来は論じる必要もないものである。これに対し(A)は明確な対立点だから、必ず検証しなければならない。ところが、その肝心の作業が勝岡論文では一切なされていないのである。
文科省も勝岡氏も(B)(C)を盛んに吹聴すれば、文科省は少しも悪くはなく、悪いのは全て自由社・つくる会側だと思い込ませる印象操作に頼る点で同一の立場に立っている。批判対象の誤りを証明する真摯な論証の代わりに、批判対象についての悪いイメージを振りまくことは政治的プロパガンダのよくある手法である。勝岡論文は、研究論文の形式をとったプロパガンダ文書である。
(6)文科官僚と一体化し擁護
勝岡論文は、そのスタンスにおいて、文科省の官僚とほぼ完全に一体化している。そのことは、まず、勝岡論文の用語法に表れている。
勝岡論文は、「一発不合格」という用語を批判し、「『一発不合格』という言葉は、つくる会がこの制度を罵倒するために考案したネーミングもしくはキャッチ・フレーズの類いであり、文科省は一切そういう用語は用いていない」と言う。さらに「専ら教科書会社の利害の見地に立って、翌年度に採択してもらえず、自社にとっては不利益を蒙ることから、このプロセスを『一発不合格』だと卑俗に言っただけのこと」である、とまで言う。
勝岡論文が「正しい」用語とするのは、文科省が使っている、不合格図書の「翌年度再申請」制度という呼称である。そして、勝岡論文は、文科省にはつくる会を不合格にするためにこの制度を導入するという悪意など微塵もなかった、ということを、あたかも文科省の代理人ででもあるかのように、力を込めて書く。しかし、前川喜平・元文科事務次官は、令和2年2月21日、自由社不合格の一報を聞いて早速、「Good job!」とツイッターに書き込んでいたのである。
そもそも、教科書検定制度を教科書会社の視点からネーミングしてなぜいけないのか。「一発不合格」は「一旦不合格」と対比するとわかりやすく、この制度の残酷な性格が露わになる点で優れているからこそ、一般の報道機関も使うようになったのである。勝岡氏は、ことの本質を覆い隠し見えなくする表現をよしとする文科官僚の立場と完全に一体となっている。
勝岡論文のタイトルにもなった、欠陥箇所の「二重申請」は、過去に検定意見がついた内容を次の検定でも申請することを意味するが、これは勝岡氏の造語である。この言葉には、コロナ禍のもとで国民に支給される一時給付金の「二重申請」のような不正行為を連想させる機能がある。しかし、勝岡論文が「二重申請」と呼ぶ行為は、いかなる規則にも違反せず、検定制度の中で許容されていることなのである。
つくる会として最も怒りを禁じ得ないのは、自由社が令和2年6月に文科省に再申請したことをとらえて、勝岡論文が、「自身がその不当性を糾弾している当の制度を否定するどころか、肯定してその制度に乗っかって再申請する行為は、たとえどのように弁解しようとも、矛盾しているというほかはない」と書いていることだ。この主張が成り立てば、例えば一票の価値をめぐって選挙制度の欠陥を主張する候補者は立候補してはいけないことになる。訴訟手続きに問題点があることを指摘する者は、裁判に訴えて権利回復を求めてはいけないことになる。矛盾に陥っているのは、勝岡氏の方である。
歴史教科書を自ら制作し教科書改善運動に取り組んできたつくる会が「検定合格教科書」をつくろうと最大限に努力することは、会の目的にかなった行為である。この間、つくる会の会員や関係者が味わった苦渋を思うと、勝岡論文は、つくる会教科書の消滅をはかる文科官僚と、そのメンタリティを完全に共有していると言わざるを得ない。
(7)勝岡氏はなぜこの論文を書いたのか
そもそも、勝岡氏の歴史認識問題や教科書問題についてのスタンスはどうなっているのだろうか。勝岡論文は、冒頭で「新しい歴史教科書をつくる会の編集する自由社の歴史教科書が、現行学習指導要領の謳う《我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚》に最も忠実な教科書の一つである」ことを認め、「現行教科書の中では、中国のプロパガンダの所産である「南京事件」を唯一取り上げず、逆に通州事件を教えている点で一つの見識を示していることについても、以前から注目し、相応の評価をしてきた積りである」と書いている。
このように勝岡氏は基本的な問題意識において、私たちと多くの共有部分をもっている。それもそのはず、勝岡氏は平成18年(2006年)4月までつくる会の理事であった。しかし、そうすると、勝岡氏はつくる会のイメージにダメージを与える効果しかなく、論理的に成り立たない論文をなぜ書いたのか、全く不可解である。
だが、ここに驚くべき事実がある。9月20日、勝岡氏が当会顧問・杉原誠四郎と面会し勝岡論文について議論した際に、勝岡氏は、『教科書抹殺』の100件の指摘についてどう思うかと問われて、「おおむね賛成」であると述べているのである。そして、勝岡論文の誤りを指摘したことについても、「納得した」と答えているのである。ということは否応なしに命題(A)を認めたことになり、従って文科省の「不正検定」があったことを認めたことになるのである。それはとりもなおさず、「不正検定」はなかったという勝岡論文の結論を否定することでもある。勝岡氏には、この論文が破綻していることを認めて撤回し、そのことを社会に向けて公表することを求めたい。