勝岡論文をめぐる事実の経過について

HOME > 勝岡論文をめぐる事実の経過について

勝岡論文をめぐる事実の経過について

藤岡信勝

勝岡論文については、この資料でつくる会の立場をご理解いただけたと思いますが、私個人としてもお答えしなければならないことがあるので、発言します。

9月20日の会合は、9月3日に、髙橋史朗氏を含む、教科書検定制度についての研究会を立ち上げる打ち合わせ会があり、その延長上の会合だと思ったので参加を希望しました。その時点では、私も杉原氏も、勝岡論文が出ることは全く知りませんでした。

杉原氏の書かれているとおりの経過で、会合の内容を報告していただきました。勝岡氏、髙橋氏、土屋氏、私、それにつくる会事務局宛てに送られたメールの全文は次の通りです。

20921教科書を良くする藤岡信勝氏宛報告

日時:9月20日
出席:土屋、高橋、勝岡、杉原

藤岡信勝 様

昨日の会合の報告をしておきます。

つくる会の教科書が「不正検定」により不合格となり、育鵬社の教科書も著しい採択減となり教科書を良くする運動は終息を迎えたかのような状況になっているが、これをこのまま放置することはできない。
この危機感を広く国民が共有し、国民のための教科書改善運動が前進していくために、「不正検定」で藤岡氏の奮闘を中核にしながら、高橋がかねてより問題にしてきている学習指導要領の劣化の問題と、杉原がかねてより問題にしている教科書採択制度の改善の問題も含め、それぞれに運動体を立ち上げ、総合的に教科書を良くする運動に取り組み、運動を活性化させていくこととする。
このように新に立ち上げた運動団体を仲介にして、日本会議、国基研にも協力してもらい、それらが相互に補完しながら勉強会などを議員会館などで開き、地方議員も含めて議員が動くようにもっていきたい。
例えば、高橋は「教科書を良くする学者文化人の会」を土屋は採択制度の改善の意欲を昂揚してもらうようにもっていくことを課題の大きな部分として「教科書を良くする地方議員の会」を立ち上げるなど、種々の「教科書を良くする○○の会」を立ち上げるものとする。

以上が今回の話し合いの結論です。なお、私(杉原)の考えで、今後のことを考え、誰がどのような発言をしたかは言わないこととし、藤岡氏には杉原の方から報告するものとした。(杉原は結論を共有するため、以上のようにメモにして報告することにした。)

なお、別件ながら、勝岡氏から9月18日に発行の『歴史認識問題研究』第7号に掲載された勝岡寛次「自由社教科書不合格問題と欠陥箇所の「二重申請問題」」について意見を求められた。

本論は、前回修正したところを元に戻して申請した40箇所のところを「二重申請」としてこれがなければいわゆる「一発不合格」にならなかったのではないかということを骨子としたもので、勝岡氏の『明日への選択』の記事よりきついものとなっている。
これにつき修正として指摘した(「反論として指摘した」としてもよい)ことの重要な点は以下のとおり。
①前回検定意見に応じて修正したところを元に戻して申請することは検定制度としては十分にありうることで(私の「今、文科省に何が起こっているのか」を参照)、このこと自体は制度的には全く問題にならない。この40箇所がなければ「一発不合格」にはならなかったではないかというのは形式には成り立つが、それをもって調査官に確信的に不合格にしようという悪意がなかったということにはならない。「理解し難い表現・誤解するおそれのある表現」とういう主観的理由によるものが291箇所の多きに及ぶというところに調査官の悪意が証明されている。
②「理解し難い表現・誤解するおそれのある表現」とういう理由による欠陥箇所の数は欠陥箇所の総数と比較すれば、他社の教科書の場合の数値と大差はなく、これも調査官に悪意はなかったということになるのではないかという指摘も書いてあるが、これは相対的な問題ではなく291箇所という絶対数の問題であると、修正した。教科書としてどの会社の教科書もほとんど同じページ数でこの絶対数の示すあまりにも多数の指摘に調査官の悪意が示されていると解釈すべきである。
③「一発不合格」を宣告されて175箇所の反論を提出したが、1箇所も受け入れられなかったのも調査官の悪意を表しているところである。

ともあれこれらの勝岡氏の論はスパイ事件が発覚する前にまとめたもので、調査官が全員調査官の資格を満たしていないことが必ずしも十分に判明していなかった時点のものである。その時点で、思えることをまとめたということになり、勝岡氏は以上の私の修正、反論にほぼ納得したと言ってくれている。できれば、『歴史認識問題研究』次号にでも私の修正意見を載せることができればよいと思っていると伝えた。

以上報告です。(文責杉原)

髙橋・勝岡両氏は、以上の経過をご存じのうえでこの報告を読まれており、それについて、特に何の異論も伝えられていなかったので、杉原氏は、10月3日のヒアリングの際に、メールの内容をつくる会の「見解」に取り入れることを承認されました。このことを私は自身のフェイスブック(10月30日付け)で、次のように書きました。

本日(30日)、雑誌『正論』12月号が発売されました。この中に、勝岡寬次「文科省は『不正検定』に手を染めたのか」というタイトルの論文が掲載されています。実に16ページという破格のスペースを与えられていますが、その論旨は、すでにつくる会の「見解」で完膚なきまでに反論しつされたものの繰り返しです。26日に発売された『月刊Hanada』12月号の拙文は、期せずして勝岡論文への最も決定的な反論になっています。
 勝岡論文の末尾には、つくる会「見解」のもとになった、9月20日の杉原氏との会話で勝岡氏が語った内容について「見解」で書かれていることが、実際に勝岡氏が語ったものと正反対の内容にされているとの趣旨が述べられています。これは重大です。
 実は、つくる会が「見解」をまとめるにあたり参照した杉原氏から事務局へのメールと同じものを、杉原氏は勝岡、髙橋の両氏に事前に送って内容を確認のうえ、資料とすることを承認したものです。話を正反対にスリ変えているのは勝岡氏のほうでしょう。
 勝岡論文については、同分量での反論を藤岡・杉原両名の連名で書くことを『正論』編集部に申し入れます。

ところが、これについて、髙橋・勝岡両氏は歴認研のHPで、次のように書かれました。

【藤岡信勝氏の事実誤認について】
新しい歴史教科書をつくる会副会長・藤岡信勝氏は、『正論』12月号に掲載された勝岡論文の末尾にある、勝岡(本会事務局長)と杉原誠四郎氏(つくる会顧問)のやり取りについて、10月30日付の同氏フェイスブックで次のように述べています。

《実は、つくる会が「見解」をまとめるにあたり参照した杉原氏から事務局へのメールと同じものを、杉原氏は勝岡、高橋の両氏に事前に送って内容を確認のうえ、資料とすることを承認したものです。話を正反対にスリ替えているのは勝岡氏のほうでしょう。》

この記述は事実ではありません。勝岡・高橋の両名は「内容を確認のうえ、資料とすることを承認した」事実はありません。勝岡・高橋の両名は、当事者である杉原氏に対して、事実確認をしたところ、11月7日付で「〈その《内容を確認のうえ、資料とすることを承認した》事実は、一切ありません〉はそのとおりです。」との回答をいただきました。事実関係に関わることですのでここに明らかにしておきます。

令和2年11月10日
歴史認識問題研究会副会長 高橋 史朗
同 会 事 務 局 長  勝岡 寛次


私が、<つくる会が「見解」をまとめるにあたり参照した杉原氏から事務局へのメールと同じものを、杉原氏は勝岡、高橋の両氏に事前に送って内容を確認のうえ、資料とすることを承認したものです>と書いたのは、上記のように、「杉原氏が」資料とすることを承認した、という意味であり、「承認」の主体は杉原氏です。髙橋・勝岡両氏ではありません。私の書き方がまずく、両氏の誤解を招いてしまったことは大変申し訳ないことでお詫びします。その他の論点については、すでに明らかになっているので、これ以上は触れません。

なお、歴認研の研究活動は極めて重要で貴重なものであり、今後とも多くを学ばせていただきたいという立場には全く変わりはないことを最後に付言させていただきます。