<教科書不正検定問題>『正論』勝岡寬次氏の「つくる会」批判に反撃

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<教科書不正検定問題>
『正論』勝岡寬次氏の「つくる会」批判に反撃

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡 信勝

 *この文章は、本来雑誌『正論』の2021年1月号に掲載されるべく執筆されたが、『正論』編集長が掲載を拒否したため、『月刊Hanada』2021年1月号に、同誌のご好意により掲載されたものである。(『史』編集部による注記)


●論理的に破綻した謬論
 雑誌『正論』の令和二年十二月号(十月三十日発売)に、勝岡寬次氏の「文科省は『不正検定』に手を染めたのか」と題する論文(以下、「『正論』論文」)が掲載された。これは論文タイトルに特有のレトリックで、その意味は「文科省は『不正検定』に手を染めてなどいない」という「不正検定」の存在の強い否定である。
 文科省による令和元年度の教科書検定で、自由社の『新しい歴史教科書』が「一発不合格」処分を受けたことについて、その教科書を推進する「新しい歴史教科書をつくる会」は、文科省による「不正検定」の結果であることを主張してきた。勝岡論文は、このつくる会による「不正検定」の主張を真っ向から否定したのである。
 これより以前に勝岡氏は、自ら事務局長を務める「歴史認識問題研究会」の紀要『歴史認識問題研究』第七号(九月十八日発行)に、「自由社教科書不合格問題と、欠陥箇所の『二重申請』問題」と題する長大な論文(以下、「歴認研論文」)を発表していた。その論旨は、「自由社の歴史教科書が文科省によって不合格となった原因は、文科省の『不正検定』にあるのではなく、自由社の杜撰な編集にある」(勝岡氏自身による要約)というものであった。
 これに対して、つくる会は十月九日、「文科省の『不正検定』を擁護する勝岡寬次氏の論文について」という「見解」(以下、「つくる会見解」)を発表し、つくる会のホームページと会報誌『史』十一月号に掲載した。勝岡氏の議論が、会の主張への誤解に基づき、論理的に破綻した謬論であることを完膚なきまでに示したものである。
 これで論争は決着しているのだが、勝岡氏は議論の場を保守系オピニオン誌『正論』に移し、すでに論破された議論を繰り返し、つくる会見解の指摘には答えることを回避しつつ(詳細は後述)、いっそう声高につくる会攻撃を展開するに至った。
 『正論』十二月号発売日の十月三十日、私と杉原誠四郎氏(元つくる会会長・平成二十六年度検定の自由社歴史教科書代表執筆者)は連名で同誌に勝岡論文と同じ紙幅(雑誌十六ページ分)の反論文の掲載を田北真樹子編集長に求めるメールを送った。田北氏は一週間後の十一月六日に、掲載を拒否する旨の回答をメールで送ってきた。
 他者を批判する論文を掲載しておきながら、批判された側の反論権を否定するとはオピニオン誌の自殺行為である。これは厳しく糾弾されるべき大問題であるが、ここではこれ以上論じない。なお、雑誌『正論』は産経新聞社から発行されているが、産経新聞本紙の教科書検定問題の扱いは公平・公正であることを明記しておきたい。

●勝岡氏の思い込み
勝岡氏との論争の第一の論点は、つくる会が非難してきた「文科省のデマ」とは何を指すかという問題である。産経新聞は三月二十五日付けの紙面で自由社歴史教科書の検定結果についての文科省の次のコメントを報道した。
〈自由社は他社と比べ不正確な記述が多い上、前回と同じ誤りを指摘されるケースが約四十件あった。・・・そうした部分をなくすだけでも不合格にはならなかった〉
 これについて勝岡氏は歴認研論文で次のように書いた。
 〈つくる会の側ではこれを「デマ」だと言い張るばかりで、・・・文科省の主張が正しいかどうかを客観的に検証しようとする姿勢が、残念ながら見受けられない〉
 しかし、これは勝岡氏の側の完全に間違った思い込みに過ぎない。つくる会は右の文科省コメントを「デマ」であるなどと言って否定したことは一度もない。
 産経新聞の報道の直後に、つくる会は自由社と協力して事実関係を調査した。その結果、四十件弱の該当箇所を確認した。作業は「検証」というほど大げさなものではない。しかし、わざわざそれを公表する義務もない。
つくる会が文科省の「デマ」だと非難したのは、それとは全く別の事柄である。つくる会見解から引用する。
 〈文科省の丸山洋司初等中等教育局長(当時)は、令和元年十一月五日の検定結果申し渡しの日に、問題の四十箇所を直せば年度内に再申請出来るようにしてやると文科省側から取引を持ちかけたが、執筆者側は頑なにこれを拒否したから不合格になった、という趣旨のことを国会議員などに語っていたことが確認されている。そのような取引を自由社が文科省側から持ちかけられた事実はないし、そもそも「一発不合格」処分には修正の機会が与えられていないのだから、この説明自体が虚偽なのだ〉
 つまり、①文科省による問題箇所「約四十件」の存在の指摘が「デマ」だ、というのではなく、②「約四十件」について修正すれば年度内に合格させてやるという取引を持ちかけたがつくる会側が拒否したから不合格になった、という初中局長の説明が「デマ」だとつくる会は一貫して言ってきたのである。 
では、初中局長などの文科官僚はそのようなデマを本当に吹聴していたのであろうか。私は文科官僚から直接聞いたことはないが、文科省がそのような類いのデマを流していたという有力な傍証になる文章がある。それは他ならぬ、『正論』編集部が自ら執筆した同誌六月号(五月一日発売)の「『つくる会教科書不合格』文科省批判と再検定要求の前に」という論文である。
そのなかで、同誌編集部は、つくる会が一切の妥協を拒否する頑なな姿勢を変えず、修正に応じなかったから不合格になったという文科省のデマを鵜呑みにした上で、次のような言葉を盛んにちりばめてつくる会の姿勢を繰り返し批判した。
 ▽「文科省の主張を聞き入れずに『指摘はおかしい』と反発するやり方が果たして妥当だったのだろうか」▽「これではまず妥協点など見いだせないだろう」▽指摘された検定意見を踏まえて、記述を修正しなければ合格はない。そのことは『つくる会』もはじめからわかっていたはずである」▽「不本意でも検定意見を踏まえた教科書記述を最大限模索し歩み寄る。そうしたことはできなかったのか」▽「検定側と執筆側の主張を両立することができないか、模索するのだ」▽「・・・と修正すれば、文科省のいう記述の正確さも、本質を見失うことも回避できたのではないだろうか」
 もう、事態はあきらかである。正論編集部は文科省のレクチャーを受け、あたかも、「一発不合格」処分を受けた自由社が検定意見にある程度妥協して修正すれば検定に合格する道があったのにつくる会が頑なに修正を拒否したから不合格にせざるを得なかった、という文科官僚のデマに「誤導」されてしまったのである。私は同誌七月号(六月一日発売)に「教科書検定制度への誤解に基づく正論編集部の『つくる会』批判に反論する」という文章を書いて懇切丁寧にその誤りを指摘しておいた。

●思い込みの「根拠」
 勝岡氏の思い込みの理由を調べて見よう。歴認研論文では、注33の中で、勝岡氏の判断の根拠として二つの文献を挙げている。
一つ目は、文科省「不正検定」を正す会とつくる会が連名で、五月二十五日に文科大臣宛に提出した「令和元年度・中学校歴史教科書の『不正検定』に関する公開質問状」(つくる会ホームページに掲載)である。勝岡氏はその中の〈質問12〉を指示しているが、そこには次の二つの文科省側の発言が引用されている。
 ①「自由社は文科省の指摘に対して、その修正を頑なに拒否した。だから不合格になった」②「前回の検定で修正に応じた約四十項目に、再び修正前のものを出して来た。だから不合格にした」
①がデマであることについては『正論』編集部に関するところですでに述べたから繰り返さない。②については、公開質問状で次のように文科省の発言を批判しつつ、その趣旨を説明している。
 〈修正前のものを出そうが出すまいが、それは合否に直接関係するわけではないことを誤魔化しています。逆に、この発言は、ありていに言えば「態度が悪いから不合格にしてやった」という意味になり、当方の主張する無理な指摘を水増しして不合格ラインに到達させたという「不正検定」が、懲罰として行われたということを自白しているようなものです〉
 これのどこに「約四十件の存在」自体を否定していると読める内容が含まれているだろうか。むしろこの論述は、その「約四十件」の存在を前提として書かれていることが明白である。
 そればかりではない。次の〈質問13〉には、丸山洋司氏の氏名を挙げて、前述のエピソードが書かれている。そして質問状では、これを「デマ」であると明記しているのである。なぜか勝岡氏は〈質問13〉の「デマ」を全く無視している。

●勝岡氏は読解力の欠如?
勝岡氏が二つ目の根拠としてあげた文献は、私が書いた「新たに露見した文科省『不正検定』の動かぬ証拠」と題する論文(六月二十六日発売の『月刊Hanada』八月号掲載)である。その中に、次の記述がある。
 〈文科省(その実体は文科官僚)が・・・その「四十件」こそが「一発不合格」の原因であるかのようなロジックを使うのは、インチキな検定意見をデッチ上げて、無理矢理「一発不合格」ラインにまで積み上げるという自らの犯罪的な行為を隠蔽し、責任を教科書会社になすりつけるための策略であり、デマなのである〉
 ここで、私は「四十件」こそが「一発不合格」の原因であるとする文科省の「ロジック」をデマだと言っているのである。ここにも私が「四十件」の存在自体を否定していると読める内容は何も含まれていない。これを勝岡氏のように「四十件」の存在を否定したと読むのでは、読解力が欠如していると言わざるを得ない。
 しかし、よく考えてみると、本当は勝岡氏に読解力がないのではなく、事の次第を全部分かった上で、つくる会攻撃の都合に合わせて「誤解」したふりをしているのであろうと考えざるを得なくなる。こうなると、ことは勝岡氏の人格の問題の領域に踏み込むことになる。
すでに述べたように、勝岡氏の歴認研論文の「誤解」についてはつくる会見解で正した。だから、勝岡氏は、今度の『正論』論文では、①つくる会見解を受け入れて、ご自身のかつての誤解を訂正した上でことを論じるか、さもなくば、②つくる会見解の「文科省デマ」に関する議論が間違いであることを論証して反論するか、どちらかの作業を必ずしなければならない立場に置かれていた。
驚くべきことに、勝岡氏は『正論』論文で、①と②の、どちらの義務も果たしていないのである! 勝岡氏はすでになされたつくる会からの反論には一切答えず、引用すらせず、無視を決め込んで、歴任研論文と同じ論旨をひたすら繰り返している。ここには論争当事者としての誠実さのひとかけらもない。しかも、『正論』十二月号の一七一ページで勝岡氏は、「誤解」だったことを実は自ら認めているのである。
 勝岡氏は事実(証拠)と論理に基づく論争から逃避し、ことの真偽に関わりなく一方的に他者を攻撃して悪印象を振りまくことを目的とするプロパガンダの領域にさらに一歩踏み込んだと言わざるを得ない。これでは何度論破されても慰安婦報道のスタンスを三十年以上変えなかった朝日新聞と同じである。この一事だけで勝岡氏の『正論』論文はアウトなのである。勝岡氏には真剣な反省を求めたい。

●不合格の「最大の要因」
 勝岡氏が「文科省デマ」問題に続いて最も大きな紙幅を割いて論じているのは、自由社が「二重申請」(勝岡氏の造語)した結果として生じた欠陥箇所三十九件の内容である。勝岡氏はその三十九件を単純ミスの事例と歴史認識に関わる事例の二種類に分け、単純ミスが十四件あったとする。この事実関係については特に異論はない。
勝岡氏は単純ミスについて、「対馬」を「対島」と誤記した例などを挙げ、「わざわざ前回の誤字に戻すことまでして再申請するのは、不可解という他はない」と書いているが、それはその通りである。
 ただし、検定規則の変更を意識して、校正を自由社としてはかつてない規模で行ったことも事実である。記錄を見ると、初校ゲラからスタートして、内容上の書き直しを含む合計二十四回の校正作業を経ている。これらの校正回数の中には、全国紙の校閲担当経験者によるものも含まれている。こうした体制をとったにもかかわらず、他社と比較して多数の誤記・誤植が生じたことは、教科書出版社としての資金面、人材面での力不足の反映という他はない。
 次いで、勝岡氏は「二重申請」以外の単純ミスについてもスペースを割いて熱心に論じている。単純ミスに関する事実関係については大きな争いはないとしても、その評価に関わる部分では重大な異論がある。勝岡氏は自由社が市販した『検定不合格・新しい歴史教科書』の中で、百七十三件の「自主修正」が行われているとして、「自由社の杜撰な校正が不合格の最大の要因だ」と結論づけている。
しかし、これは受け入れられない。「最大」というのは数の問題になるが、自由社は昨年十一月二十五日に、百七十五件の欠陥箇所について「不正検定」であると主張する「反論書」を提出した。だから、数に単純化しても、「不正検定」は「一発不合格」の「最大の要因」であるか、少なくとも単純ミスと同等の要因である。これを論争の第二の論点としておこう。
ところが、あれほど熱心に自由社の単純ミスを論った勝岡氏は、肝心の「反論書」の百七十五件については全く検討せず、話題にもしないのである。これは、勝岡氏の『正論』論文が、自由社の「杜撰な校正」を極力印象づけて「責任は自由社にある」という、文科官僚に都合のよいイメージを読者に刷り込むことを目的としているからである。

●勝岡氏と文科省との違い
 勝岡氏との論争の第三の論点は、「一発不合格」制度導入の理由に関するものである。勝岡氏は言う。
 〈前回の検定では、「学び舎」が新規参入したが、この「学び舎」と自由社に付けられた検定意見数が多数に上ったために(学び舎二百七十三件、自由社三百五十八件)、審議会が十分な審議時間を確保できない事態となった〉
 〈決して「一発不合格」という趣旨ではない。検定の公正を確保するために必要な、制度設計の変更なのである〉
 文科官僚が泣いて喜びそうな解説だが、文科省自身の趣旨説明は違う。
 〈方針として、図書の基本的な構成に重大な欠陥があるものですとか、あるいは欠陥箇所が著しく多いといったものについては、図書の修正に十分な時間的余裕本審議会での審議に十分必要な時間を確保する〉
 勝岡氏は「検定意見数」だけを理由にしているのに対し、文科省はそれだけでなく、「図書の基本的な構成に重大な欠陥があるもの」をも同時に挙げているのである。「検定意見数」だけを見れば、自由社のほうが数は多いから、制度導入に至る主要な原因を自由社がつくったかのように見えるが、もう一つの「図書の基本的な構成に重大な欠陥があるもの」とは学び舎のことを指すのであり、学習指導要領との関係でつけられた検定意見のことで、この質的な理由を視野に入れると、様相は一変する。
もう一つ、勝岡氏と文科省との違いがある。それは、勝岡氏が「審議会の十分な審議時間の確保」しか言わないのに対し、文科省は審議会の時間の他に、「図書の修正に十分な時間的余裕」を挙げている。「図書の修正」を行うのは教科書会社である。この点で、自由社と学び舎はどちらが大変だっただろうか。別掲の【図表】をご覧いただきたい。平成二十六(二○一四)年度の教科書検定で、「A 学習指導要領との関係」の検定基準を適用された件数は、自由社がたった一件だったのに対し、学び舎は実に二十一件もの検定意見を付けられていたのである。これは実務感覚からすると信じられないほど多い数である。

教科書・図表.jpg

●「数」の問題への矮小化
単純な誤記・誤植の修正(「対島」を「対馬」に直すなど)には大して時間はかからない。百件あろうと、作業自体はあっという間にすむ。
ところが、学習指導要領との関係で付けられた検定意見に沿って教科書を修正するのは、作業当事者にとっては大変なことである。例えばある単元の所在を別の章に移動することを求められたとしよう。それはその単元の場所を例えば十ページ前に移動すればよいというだけではない。索引や参照ページなどの膨大な変更がそれに伴って生じるのである。
また、ある学習事項が脱落していることを指摘されたとしよう。しかし、すでに教科書は完成体で寸分の余白も無く出来上がっているから、新たな教材の塊を入れるために他の教材を削除しなければならず、その調整も至難の業である。学び舎の執筆・製作関係者は検定意見を受けた修正段階で死ぬ思いをしたはずである。
検定意見は数の問題ではない、ということの傍証として、竹田恒泰氏が平成三十年度に検定申請した平成書籍(のち令和書籍)の例を挙げてみよう。市販されている同書には、文科省の検定意見が巻末に収録されている。そこで指摘されている欠陥箇所は、わずか十件に過ぎない。数だけに着目すれば極めて少ないといえるが、その中身は次のようなものである。
〈1 (指摘箇所)全体、(指摘事項)全体、(検定基準)1―(2) 学習指導要領に示す社会科の目標に一致していない。(「諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し」)〉
こんな検定意見を一箇でも付けられたら、もうお手上げである。新規に一冊の教科書をつくる作業が必要になる。到底、七十日間で出来る仕事ではない。実際、竹田氏は申請教科書の修正版を作成しなかった。

●左翼文科官僚の企み
平成二十六年度の教科書検定で文科省が本当に直面した困難とは、自由社の扱いではなく、新規参入の学び舎の扱いだったのである。学び舎側だけでなく、検定をする文科省側も修羅場であったろう。教科書調査官は殆ど不可能なことを学び舎のために成し遂げたと言える。なぜそこまで頑張ったかといえば、この年度の教科書検定で学び舎を何が何でも合格させることが左翼勢力の目標だったからである。
「一発不合格」制度はこのような経過で導入された。これは教科書会社を殺す凶器で、その四年後に教科書検定は自由社を潰すことが左翼勢力のテーマになった。次のテーマは育鵬社潰しである。勝岡氏はそれがわからないのだろうか。
勝岡氏の論文を読んでいると、文科官僚は何の政治性も持たない純真無垢な善意の人のように描かれるが、自由社の歴史教科書が不合格になった時、教科書問題に深く関わってきた元文科事務次官・前川喜平氏は、「Good job!」とツイッターに書き込んだ。勝岡氏はいい加減、「カマトト」ぶりをやめたらどうか。
これでよくおわかりだろう。敢えて言えば、検定意見の数は、実は大して問題ではないのだ。単純ミス百件を指摘する検定意見を受けても、ダメージはかすり傷程度だとしたら、右のような学習指導要領との関係で付けられた検定意見は、一箇でも背骨を折られたような致命傷になることがあるのだ。
 勝岡氏との論争の第四の論点は、「一発不合格」の原因を何に求めるかという問題である。
 ここで、「敗戦した野球チームの比喩」を考えてみよう。野球チームAはチームBと対戦した。一回の裏、Aの先発投手が打たれて、チームBが2点を先取した。チームAは五回に三点取って逆転し、そのまま勝つかと思われたが、九回の裏、リリーフ投手が打たれて二点取られ、チームAは逆転サヨナラ負けを喫した。これを評して、ある者は「リリーフ投手が九回に二点取られなければ負けなかった」と言い、別の者は「先発投手が一回に二点を取られていなければ負けなかった」と言う。どちらが正しいのか。もちろん、どちらも正しいのである。
 つくる会見解では、「一発不合格」の原因論が右と同型の構造であることを示すために、(A)「不正検定」百件がなければ「一発不合格」にならなかった、(B)百七十三箇所の単純ミスがなければ「一発不合格」にならなかった、(C)「二重申請」した「約四十箇所」がなければ「一発不合格」にならなかった、という三つの命題にまとめ、三つの命題はどれも成り立つと述べた。当たり前のことである。

●真の争点は価値の問題
 ところが、この下りを読んだ勝岡氏は、つくる会が「『(A)(B)(C)の三つの命題はいずれも成り立つ』ことを、今回初めて認めた」と言い、「つくる会が命題(B)(C)を正しいと認めたことが、これまで一度でもあっただろうか。筆者の知る限りでは、ない」などとまことに愚かなことを大真面目で言う。こんなことは小学校一年生の算数の問題である。勝岡氏は「(C)が成り立つことを立証した筆者の作業は、『無意味な問題設定に基づく無益な作業』では決してなかったことになる」と自画自賛する。何と評すべきか。
 ただ、「(A)(B)(C)は『いずれも成り立つ』と認めながら、(A)だけを正しいとする理由が、筆者には解らない」と勝岡氏が書いているところは一考を要す。つくる会見解は次のように書いている(サイドラインの強調はいずれも藤岡による)。
 〈この百件の「不正検定」が無ければ、たとえ単純ミスが多数あろうと「一発不合格」にはならなかったし、ここに今回の自由社検定不合格問題の核心がある〉(X)
 他方、勝岡氏は冒頭で紹介したとおり、歴認研論文の要約として、次のように書いていた。
 〈自由社の歴史教科書が文科省によって不合格となった原因は、文科省の「不正検定」にあるのではなく、自由社の杜撰な編集にある〉(Y)
 つくる会見解の前提にあるのは、単純ミスよりも「不正検定」のほうがより重大な問題であるという価値判断である。そして、その価値判断は多くの人が共有しているはずだという暗黙の了解があった。しかし、勝岡氏のような「異質」な人が現れると、価値の問題を明示的に論じなければならない次第になった。
 端的に言えば、教科書会社が単純ミスを犯すことは違法ではない。ないほうがいいことは否定しないが、だからどうだというのか。そのために検定があるのではないか。検定は無料ではなく二十四万円ほど支払わねばならない。それに引き比べて、「不正検定」は公務員による国民の差別的処遇であり、憲法にも公務員法にも違反する違法行為である。その罪は比べものにならない。
 おそらく、勝岡氏の『正論』論文を読んだ読者は、部分的には勝岡論に説得力を感じつつも何か割り切れないフラストレーションを感じたのではないか。その原因は、勝岡氏が全く価値の領域に踏み込まないで、ひたすら単純ミスの計算ばかりしているからである。文科官僚や勝岡氏は「不正検定」から目を逸らすために、しきりに単純ミスの「数」や「例」を論っているのである。

●「不正検定」の証拠
勝岡氏との論争の第五の論点は、「不正検定」の証拠はあるか、というものである。勝岡氏は言う。
 〈筆者も、「不正検定」であるとつくる会が主張する百件の事例を列挙した『教科書抹殺』は一読したが、これは「不正」というよりも、調査官の歴史認識との単なる「見解の相違」ではないか、と思える事例ばかりだった〉
「不正検定」を否定するために勝岡氏が今度持ち出した小道具は「相対主義」である。そうすると、勝岡氏が唯一「自由社の方に理がある」として言及している「インドネシア占領」に関する記述は、本気でなく、単に勝岡氏が保守的な思想に立つ論者であることを『正論』の読者に示すためのアリバイづくりだったことになる。
しかもこのケースを自由社は百七十五件の反論書に含めていないから、つくる会の言う「不正検定」の具体例について判断したことにはならないと言い訳できるように選ばれていたのである。用意周到と言うべきか。
 文科官僚に都合のよい右の相対主義を宣言したあと、勝岡氏は次のように書く。
 〈歴史認識の違いと「不正」は峻別すべきだ。歴史認識の相違は相対的なものだが、「不正」は絶対的なものだからである。両者は全く次元を異にする問題である。つくる会の言う「不正検定」の主張は、万人が「不正」と納得し得る証拠を提出しない限り、「不正」とは見なし得ない〉
 それなら『正論』論文の執筆時点で勝岡氏がすでに読んで引用している『月刊Hanada』八月号の拙論「新たに露見した文科省『不正検定』の動かぬ証拠」で紹介した令和元年度検定におけるダブルスタンダードの事例、たとえば、ロンドン海軍軍縮条約における補助艦の米英日の比率を自由社が「10:10:7」と書いたのに検定意見がつき、同じことを書いた他社の教科書には何の検定意見もつかなかったというケースを勝岡氏はどう判断するのか、ぜひ訊きたいものである。また、同誌十二月号には、合計十七件のダブスタ検定の事例が紹介されている。これらについても、「不正検定」に当たるかどうか、必ず回答していただきたい。

●「挙証責任」の放棄
 勝岡氏との論争の第六の論点に進もう。勝岡氏はつくる会見解から次の一文を引用する。
 〈勝岡論文の致命的欠陥は、論文の核心をなす中心命題、すなわち、「文科省による『不正検定』があった」とする、つくる会が提起した命題の当否を検証する作業を一切行っていないことである〉
 これを引用したのだから、読者はいよいよ勝岡氏もつくる会が「不正検定」であると主張する個別のケースの評価に踏み込むのかと思うだろう。しかし、ページをめくると、その期待は見事に裏切られる。勝岡氏は次のように言い放つ。
 〈筆者が自分の論文において何を取り上げて論じようが、勝岡本人の自由に属することである。筆者は、つくる会の主張する百件の「不正検定」の事例は・・・「『不正検定』の『裏付け』として不十分であると思う」ゆえに、取り上げなかったまでのことである〉
 これは驚くべき発言である。つくる会を批判し、「不正検定」はなかったと言いながら、つくる会の主張が提出する証拠を、「不十分であると思った」から取り上げなかった、というのである。これでは原告が提出した証拠資料を、証拠として「不十分だと思った」から読まずに原告の訴えを却下した裁判官と同じである。
民主主義の国アメリカでは、大統領選挙でT候補を打倒しB候補を担ぎ上げるために、どんな違法行為も辞さず、論理と正義を踏みにじる勢力が跳梁跋扈しているが、勝岡氏の行動が見逃される社会になれば、これを批判できない。勝岡氏は教科書改善の大義を無視し、つくる会を叩き潰すための危ない道に大きく一歩を踏み出したのである。果たして、勝岡氏が正道に戻る可能性はあるのだろうか。