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自由社新刊【平成30年8月13日発売】のご紹介

対談・吉田茂という反省

―憲法改正をしても、吉田茂の反省がなければ何も変わらない

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自由社新刊のご案内 

◆著者 阿羅健一 杉原誠四郎

◆定価:本体2500円+..

◆発売日:平成30年8月13日

◆四六版400頁

ISDN 978--908979-10-

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本書を推薦します!! 本書は憲法改正問題でも、歴史認識問題でも、比倫を絶する書です。  


書評
外交評論家・加瀬英明

この度、近現代史の研究では著名な阿羅健一氏と杉原誠四郎氏が、占領期の首相吉田茂について縦横に語り合って『吉田茂という反省-憲法改正をしても、吉田茂の反省がなければ何も変わらない』という対談本を自由社より出された。

昭和60年、中曾根康弘内閣で、小和田恆外務省条約局長が、講和条約締結の際、日本は東京裁判を受け入れているからハンディキャップ国家であると、国会で答弁したことがある。

これは法的に見ても明らかに間違った答弁なのであるが、これがもし法的にも正しいとしたら、東京裁判は国際裁判であり、講和条約は条約ゆえに、憲法より上位の国際条約で日本国民は拘束されており、それゆえに日本は、たとえ安倍内閣の下で憲法を改正しても、日本がハンディキャップ国家であることには変わりなく、したがって憲法を改正しても日本の国家は何も変わらないということになる。

私は、かねがね主張していることだが、「日本国憲法」は日本とアメリカとの間で、占領期に強要された不平等条約であり、それゆえに憲法改正とはこの不平等条約撤廃のことであるから、憲法を改正すればその不平等条約がなくなるから、たとえ小和田条約局長のハンディキャップ国家論が正しいとしても、そんなものは吹っ飛んでしまうと考えており、その点でも、いま、行われようとしている憲法改正は、何としてでもなさねばならないと考えている。

だが、この本では小和田局長のハンディキャップ国家論は間違っており、小和田条約局長の答弁には法的効力もないという一点では私と同じであるが、この誤った国家論がどうして外務省から行われるに至ったかについて、占領期及び占領終結後のしばらくの間に吉田茂が首相としてなしたことなさなったことに起因しており、 吉田茂の目指して作り上げた日本国家こそまさにハンディキャップ国家であったということを、炳として明らかな根拠でもって、言葉に変えて言い表していると言えよう。

占領軍によって押し付けられた日本国憲法は、押し付けた占領軍が自衛戦争のためには軍隊も交戦権も持つことができるようになったと解釈しており、それがこの憲法の正しい解釈であることを百も承知しながら、それを知らぬ振りをして、いわゆる芦田修正以前の、それまでの占領軍が押し付けていたまさに日本はあらゆる意味において戦力も交戦権も保持できないという解釈を固持し、日本の安全保障はアメリカの軍隊にすべて依存するという植民地国家を作り出したのであるから、それは結局、東京裁判を受け入れたハンディキャップ国家であるということになり、小和田条約局長の答弁はまさに吉田茂の作り出した国家を言語で言い表したものであると、この対談本の両著者は強調する。

そのように見れば、確かに憲法を改正しても首相吉田茂の、占領期及び占領終結後のしばらくの間の彼のなしたことなさなかったことについて、日本がまさに国家として反省を行わなければ、憲法を改正しても日本は何も変わらないということになるのだ。

今、憲法を改正しようとするのであれば、占領期及びその後のしばらくの間の吉田茂のなしたことなさなかったことを見つめ直し再点検していかなければならないという両氏の主張はまさに、憲法改正をめぐる核心の問題提起ということになろう。

なお、本書の著者の一人杉原氏は、さる5月30日の時点で、自民党憲法改正推進本部に、第九条の憲法改正がどうしても実現できなかった場合には、憲法ができたときの第九条の本来の正しい解釈、つまり自衛戦争のためである限り、日本は戦力も交戦権も保持できるという正しい解釈を政府の解釈として打ち立てるよう、意見具申をされたと聞く。これは第九条をめぐる憲法改正に関わって傾聴すべき意見と思われるので、付言して おきたい。

本書のサブタイトルならぬメインタイトルが「吉田茂という反省」としてあるのは、吉田茂自身が自ら反省すべきだという意味があると同時に、我々日本国民全体が、かの占領期及び占領解除しばらくの間に吉田茂のなしたことは何であったのか、日本国民自身がそのことについて改めて反省しなければならないのだという意味が込められているという。憲法改正をしようとしている今の日本の国民として、確かにそうであろう。漫然と憲法改正を迎えるべきではない。吉田茂とは我々日本国民にとって何だったのかということで、我々自身が反省しなければ真の憲法改正にはならないのでる。

憲法改正に直接関わる問題以外に、本書では、吉田が外務省の戦争責任を隠すあまり、戦争について正しく認識できない、つまり自虐的にしか自国の歴史を見ることのできない言語空間を戦後の日本社会に作り、その言語空間の中に日本国民を閉じ込めたという歴史認識の問題も、憲法問題に劣ることのない重要な問題である。この歴史認識の問題からも本書は他に比べるべきものもない比倫を絶する書である。

さらには、日韓の両国民にあまり知られていないことであるが、吉田茂が首相をしていた当時の韓国大統領李承晩に対する吉田の無思慮な仕打ちは、今日の憂うべき日韓関係を見たとき許されるべきでないことを、日本国民は改めて思い起こすべきであろう。

本書は戦後70年以上経て、まさに憲法が改正されようとしている今日、日本国民に対して、警世の書であり、警醒の書であると言えよう。多くの方が読み、改めていっそう憲法改正に向けて邁進することを冀いたい。

なお、本書の購読は、憲法改正に向けてその運動に資する意味も持っており、そのため、本書を読んでいささかでも本書の主張に賛同される読者におかれては、twitterやFacebook等で、周辺の方に感想等を伝え、紹介してくださるよう、ぜひともよろしくお願いしたいと思う。