各社の教科書を読む歴史編 学び舎|新しい歴史教科書をつくる会

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学び舎――歴史の系統的な学習ができない反日・反天皇制資料集




歴史全体の流れが分からない

学び舎を読んだ時、面白い記述もあるのだが、これは教科書だろうか、資料集ではないかと何度も考えさせられた。最初にエピソードが置かれるからでもあろうが、ほとんどの単元が唐突な出だしになっているし、その単元全体で書いていることが結局何なのか、分からないことが多い。例えば、ローマ文明の単元を読んでもローマ帝国の梗概が理解できないし、縄文時代や弥生時代の単元を読んでも、時代の要点を理解することができない。しかも、一つの単元自体を理解することができても、次の単元と話しがつながっていかないことが多い。結局、歴史全体の流れが理解できないまま、教科書を読み終えてしまうことになる。


時代区分の定義も始期・終期も単元本文に書かれない

では、なぜ、そうなるのか。指導要領との関係を無視しても、学び舎には、日本の歴史教科書ならば当然に書くべき事柄が随分抜けているからである。例えば、縄文時代や弥生時代は出てくるが、縄文文化や弥生文化は出てこない。それ以前に、縄文土器や弥生土器は、写真があっても、単元本文には出てこない。縄文土器の場合は「縄目のもようのついた土器」とは表現されているが、単元本文には縄文土器という単語は登場しない。それゆえ、なぜ縄文時代や弥生時代と言うのか、生徒には理解できない構造になっている。

しかし、縄文時代や弥生時代に関する説明はまだ良い方である。例えば弥生時代の場合は、「紀元前4世紀ごろから紀元3世紀ごろまでを、弥生時代とよびます」と記してあり、時代の始期と終期が単元本文に明記されているからである。ところが、その他の時代については、鎌倉時代や江戸時代でさえも、単元本文を読んでも、時代の始期と終期さえも分からないし、時代名の由来も分からない構造になっているのである。

他にも抜けては困る事項が省かれている。たとえば、メソポタミア文明や英国革命、「憲政の常道」、臨済宗・曹洞宗などが単元本文に出てこない。結局、学び舎の教科書では、時代区分さえも把握できず、重要事項が抜けているわけだから、歴史の系統的な学習など不可能と言ってよいだろう。にもかかわらず、済州島の倭寇の青年の話、沙也加の話、山本宣治、三光作戦、「南京事件」に関する夏淑琴の証言などの中学校歴史教科書にとって不要なエピソードが多数書かれている。何ともバランスの悪いことである。中には明確な嘘や真偽不明のものも多いから、よく検定を通ったな、というのが正直な感想である。


極端な元号忌避が、歴史の流れの把握を困難にする

更に、教科書内容以前に問題なのが、度外れた元号忌避である。学び舎の執筆者たちは、共産党系の教員たちであり、反天皇制思想に染まっている。そこで、学び舎は、全時代について元号併記を行なわないという基本方針をとっている。それゆえ、応仁の乱の年代でさえも「1467年」と西暦一本で表わしているし、近代の単元でも3~4件程度しか元号併記を行っていない。しかし、「大化の改新」や「元禄文化」「寛政の改革」といった元号にちなんだ名称をもつ歴史的事項は多数存在する。日本歴史を時代順に系統的に把握するためには、明治、大正、昭和、平成だけではなく、大化、元禄、寛政などの元号に親しむ必要があろう。学び舎だけの問題ではないが、元号排除が、歴史の系統的把握を困難にしている一要因であると言えよう。


極端な対中韓隷属史観

最後に内容的・思想的な問題を簡単に指摘しておこう。学び舎は、歴史教科書一般がもつ5つの否定的特徴を強固にもっている。特に、第一に並外れて歴史の中心部分の流れが分からない。それは、何よりも対外防衛の観点がないからである。例えば学び舎は、幕末維新期における植民地化の危機も、日露戦争における国家滅亡の危機も全く記さない。それゆえ、日本が必死になって何故に明治維新をやりとげ、何故に日露戦争を戦ったか、それらの理由がまったくわからないことになるのである。

また、第二に対中韓隷属史観の点も度外れており、その反日思想は強烈である。大東亜戦争期のシンガポールでの中国系住民の処刑、三光作戦など、他社が書かない日本軍の「悪行」を並べ立てている。また、唯一、朝鮮人徴用を「強制連行」と表記するばかりか、その数を70万人と誇大に記すばかりか、「従軍慰安婦」さえも登場させている。学び舎の祖国は、中国であろうか。それとも韓国であろうか。日本でない事だけは確かである。






平成27年7月27日更新