各社の教科書を読む歴史編 育鵬社|新しい歴史教科書をつくる会

kyokasho.jpg

HOME > 各社の教科書を読む > 各社の教科書を読む歴史編 育鵬社

育鵬社――自虐史観の方向を目指し始めた




明治維新と立憲国家を冷笑し始めた育鵬社

今回最も大きな変化を見せた教科書は、帝国書院と育鵬社である。帝国書院の変化は教科書改善の方向であったが、育鵬社の変化は逆方向である。端的に言って、育鵬社の中で自虐史観が明確な形を取り出したということである

中学校歴史教科書がおかしくなりだしたのは、昭和50(1975)年ないし53年からである。このころから、四民平等については「身分制度の改革」とか「新身分制度」と表記する教科書が登場し、一挙に多数派になっていった。そして、明治維新なんて上辺だけのものだというメッセージが、教科書を通じて送られるようになっていた。つまり、昭和57(1982)年の教科書誤報事件発生以前に国内体制に関する自虐史観化が拡大しつつあったのである。

今回、同じ事態が発生した。共産党系の学び舎は、四民平等政策のことを「古い身分の廃止と新しい身分」とまとめた。また、育鵬社は、「身分制度の改革」という小見出しの下、「新たな身分が記載されました」と記した。現行版では、皆無である四民平等を冷笑する教科書が2社も再登場したのである。また昭和50年代と同じことがくり返されなければよいがと思ってしまうところである。

更に育鵬社は、明治維新だけではなく、明治立憲国家形成についても冷笑する姿勢を示し始めた。育鵬社は、帝国議会開設の箇所で、衆院議員選挙の「有権者は総人口の1.1%(約45万人)にすぎませんでした」と記している。衆院選の制限選挙を冷笑する昔からの定番記述を、何と育鵬社が行ったのである。このことにも非常に驚かされた。


対中韓隷属史観を採用した育鵬社

しかし、こんなことに驚いているのはおかしなことかもしれない。平成23年に育鵬社の教科書は新しく登場した。その時から、育鵬社は、「つくる会」からみれば、奇妙なことを行っていた。大東亜戦争の名称問題であるが、扶桑社版や自由社版のように「大東亜戦争(太平洋戦争)」という単元名をとらず、「太平洋戦争(大東亜戦争)」という単元名を採用した。頼朝が征夷大将軍に任命された1192年説ではなく、守護地頭の設置権限を頼朝が得た1185年説から鎌倉幕府の成立を記した。

そして何よりも、育鵬社は、中韓関係の人物や地名に中国語読み・韓国語読みのルビを振る方針を採用した。また、明らかに間違っており今日では廃れた学説である稲作朝鮮半島伝来説をわざわざ採用した。つまり、対中韓隷属史観を意識的に採用していたのである。

既に、育鵬社は、その登場以来、自虐史観の方向に舵を切っていたと捉えるべきかもしれない。







平成27年7月28日更新