「史」から~歴史の常識を疑う 平家は女々しいか|新しい歴史教科書をつくる会

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歴史の常識を疑う 平家は女々しいか

「本当に大切なものは目には見えない」とは『星の王子様』(サン・テグジュペリ)の名言だが、これは歴史を学んでいても痛感することである。私が専門的に研究している平安時代~戦国時代において隠れているのは「真実」であったり「法則」であったり様々である。「新しい歴史教科書をつくる会」も「慰安婦」捏造をはじめとして多くの真実を明らかにしたが、近現代に比べて中世は史実として確実なことが少ない上、常識化が進んでいるのでやっかいである。断片的にしか残っていない史実のみにとらわれるといびつなオブジェのようなものができあがってくる。気持ちを新たに常識を問い直さないと「虚偽」を「真実」と思い込んでしまう。

たとえば「平家は貴族化して女々しく武士の信望を失い愛想を尽かされた」といったイメージは広く流布しているが本当か。そもそも信望を失ったものが西国武士を束ねて数年間も源平合戦を行えるはずがない。女々しさの根拠の一つに『平家物語』で斎藤実盛が語ったとされる言葉がある(実際には実盛ではないが)。西国の戦いは親が討たれれば供養の法事をすませ、子が討たれれば嘆き戦いを中止する。兵糧がなくなれば田を作り刈り入れた後に戦おうとする。夏は暑い冬は寒いと嫌う。東国の戦は決してそのようなことはないと。しかしここで女々しいイメージで語られているのは西国武士全体で平家ではない。

この源平合戦に登場してくるのが「軍事的天才」と多くの人が絶賛する源義経である。しかしこれも疑問である。『孫子』の研究もしている立場で申し上げれば、名前を秘して行われた事柄だけを記せば「一ノ谷合戦」「屋島合戦」「壇ノ浦合戦」における義経の行動は愚策を通り越したひどいレベル、完全に落第点である。これを名作戦として模倣したら、失敗は必然となる。ガダルカナルの悲劇はここにあるように思える。

源平合戦に続くのが「史上初の武家政治」と書かれることが多い鎌倉幕府。この「史上初の武家政治」にも異議を申したてたいのだが、それよりも「元寇」に際して、鎌倉時代は尚武の気風が高かったから蒙古軍を撃退できたという記述にお目にかかった時には思わず「嘘だろう」とつぶやいてしまった。夜郎自大的な鎌倉幕府の稚拙な外交が蒙古襲来を招いたことはさておき、あたかも少数の勇敢な鎌倉武士が蒙古の大軍に向かっていったようなイメージだが、実際には逆、元軍2万8千人、鎌倉軍は九州全体の動員力で10万人で地の利もある。ところがいかな大軍でも、戦い方が個人プレー中心だから、少数が大軍に飲み込まれるような戦い方になっただけだ。

虚偽がまかり通るのは近現代史に限らないということだが、もちろんこんな内容を教科書に載せることは難しいだろう。しかし何らかの形で知ってもらわないと、愚策を賢策とみなして模倣し、結果的に失敗するという愚行が繰り返されてしまうのではないかと心配している。

平成30年8月2日更新



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海上 知明(うなかみ ともあき)
日本経済大学教授