新しい歴史教科書をつくる会|天皇と日本 寛仁親王殿下

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特別寄稿
天皇と日本

寬仁親王

この命題は我が国と我が国民にとって最も大切なテーマであり、皇室制度を抜きにした日本史は考えられませんし、今後もそれは永久に続いていくものだと思います。

権威と権力の分離

天皇を頂点とする皇室が、世界史に類を見ない特徴と言えることは「神話の時代」から「現在」迄、初代の神武天皇に始まり、125代の今上陛下迄、2669年の永きに亘って、万世一系という男系の家系を紡いで来られた所にあります。

簡単に言えば、今上陛下は勿論の事、私の様な内廷外皇族(天皇御一家は内廷皇族と申し上げる)に至る迄、神武天皇の血統(Y染色体)が連綿と脈打っているという事です。

125代の天子様の家系の中には八方一〇代(お2人が重祚されている)の女帝がいらっしゃいますが、皆様、未亡人(天皇・皇太子の)か独身でいらして、配偶者を求めておられませんでしたので、万世一系は男系によって守られ続けてきたという、真に稀有な歴史を有しているのです。

諸外国の王公族に目を転じてみると、我が国と違って家系図はテンデンバラバラになっています。英国のエリザベス女王はスコットランドの血が入っておられますし、エディンバラ公はギリシャの王族から来られました。もっと遡れば、フランス・北欧・ドイツの血も入っているはずで、それが故に、ヨーロッパの王皇族は、今でも国が違っても、「親戚付き合い」なさっています。

又、成立の過程が、英国(イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランド)を例に取ると各地の領主(豪族)が覇を競い、有力者が王になったりした訳ですから、時の王朝が力を失うと次の王朝が名乗りを上げるという事になりますし、女系も認められていますから、万世一系でなく、その時の王・女王の時代ごとにヴィクトリア王朝とか、現在のウィンザー王朝という風に名称も変わります。

現在では、殆どが、立憲君主制民主主義を取っていますが、我が国の皇室が、皇室典範の規定で、「政治」「営利」にタッチ出来ないしくみになっているのと比べると、他国の場合は国々によって、各々かなりの政治的な力をお持ちになっています。

一番有名だったのは、エティオピアのハイレ・セラシエ皇帝と、イランのパーレビ皇帝がおられましたが、完全に政治・経済・軍事・その他を統括されていましたので、国民の不満が、飽和状態になると、クーデターによって、両皇帝の政府は転覆されてしまいました。

私の聞いた所によると英国は議会制民主主義の元祖の様な国ですが、女王陛下は、議会から上がってきたペーパー(政令・法律等々でしょうが)を一度はお戻しになる権利を所持されているそうです。勿論再提出があった後は、お認めになるわけですが、我が国の天皇陛下は内閣が上げた全ての書類に拒否権をお持ちになっていません。

例外的に、昭和天皇は、二・二六事件の時と終戦の時は、二度御自分の意見を述べられたと直接伺いましたが、これは当然のことで、前者は内閣を形造っていた首相・大臣達が、青年将校に次々に殺傷されてしまい機能停止の状態でしたから、陛下は自ら「馬引け!」と仰せになったのです。後者は、終戦の御前会議で、閣僚達の意見が、三対三になった所で決まらず、鈴木貫太郎首相が「畏れ多い事でございますが陛下の御意見を伺いたい!」とお願いしたので、陛下は「東郷外相の和平案に賛成である」と仰せになりました。つまり二回とも、輔弼・補翼をすべき、内閣・軍部共に答に窮した時のみの御発言で、我が国は、見事に権威と権力が分離しています。

これが、2669年間継続してきた我が国の国民の、「民族の知恵」ではないでしょうか?前述した様に、権力を持てば一時期は良いでしょうが、力が衰えた時、必ず次の権力者に取って替わられます。

近頃、外国人に、余りにも日本の首相や大臣が早く替わるので、大いに驚かれている現実がありますが、国民にそれ程、「不安感」見られないのは、やはりこの悠久の歴史を背景にした125代の天子様(皇室制度)の存在がある為の、「安堵感」の成せる業ではないでしょうか?

国体を守る「民族の知恵」

天皇という御存在は、神道的にみれば祭祀王としての存在とも言えるでしょうし、家系的に見れば我が国で最も古い家系の主とも言えますし、社会的には2669年の日本の伝統文化の担い手とも言えるでしょう。

そして、外国の王皇族の様に、パフォーマンスを常に意識していないといけない存在(国民もそれを期待するし、国民自身も自らパフォーマンスをするのが常識です)と違って、122代孝明天皇迄は御簾の向こうにおわしまして、明治帝から初めて、国民の中に姿を現わされたという特殊な形態で来ました。

然し乍、当時の人々も山間僻地にいたような民草でも、「京に都と言うものがあって、天子様という偉い方がおわすそうだ!」といった程度の常識は伝承で語り継がれていたはずです。これが、我が国の一君万民の基本的な姿だったのではないでしょうか?

外国は、古くより、合理主義を尊びます。然し乍我が国では、神道という、宗教でない神の道を尊び、神秘的な現象を極く普通に受け入れて、今迄来ました。自然界の全てを神たりうるものとして尊敬し、自然と共に生きる、共生するという事を古代から真面目に守って来ました。

諸外国は、自然というか地球を、自分達が征服するという事を主眼にして来た様な気がします。科学の力で、産業革命を起こし、人間が、全てを支配するといった雰囲気を私は感じます。前述の様に合理主義に裏打ちされ、オール・オア・ナッシング(白黒つけたがる)外国人魂と違い、我が国では、全世界から輸入された思想であれ、物質であれ、それらを見事に、時間を掛けて自然にありのままに日本化し、自家薬籠中の物にしてしまう特殊性があります。

外国人と比較して、強いて言えば、グレイの部分を沢山持っているのだと思います。外国から見れば、神秘的に見えるかも知れませんし、我々日本人でさえも、生活の中に多くの答えの出ないものを大切にしてきた歴史があり、それが我が国の世界に冠たる特徴であると思います。

天皇陛下が、主宰される新嘗祭・或いはお代替わりの時に催される、大嘗祭等の宮中儀式も、陛下と皇太子殿下との間の一子相伝で、我々は拝見したことも同席した事もなく、幄舎の中で鎮まって儀式が終わるのをお待ちしているのです。同じ様に、三種の神器についても、我々は見る事もなく、語り継がれて来た事を信じているだけです。

外国人にこの事を話したとしても到底理解してくれないと思いますが、我々日本人は、自然界の中で様々な形で、あらゆる物を神々しいものとして受け入れ大事にして来ていると同時に、繰り返しますが、歴代の天子様の事も、知る知らない、見た事が有る無いに拘わらず、日本国の象徴として、民族の象徴として、崇敬し敬愛して来たという、全く他国に見られない行いを神話の時代から連綿と続けてきました。国民一人一人の、国体を守る、「民族の知恵」を感じざるを得ません。

平成21年5月30日発行 自由社「日本人の歴史教科書」より